京都創生推進フォーラム
シンポジウム「京都創生推進フォーラム」
日 時 平成23年7月7日(木)
会 場 上七軒歌舞練場



13:30 運営委員会委員(10団体)紹介
 

総会

 
  あいさつ 立石 義雄(京都創生推進フォーラム代表、京都商工会議所会頭)
   

門川 大作(京都市長)


  京都創生取組報告 西野 博之(京都創生推進部長)

14:00 芸舞妓による舞の披露

上七軒歌舞会


14:15 パネルディスカッション「外から見る京都 内から見る京都」
  パネリスト

河P直美 氏(映画作家)

   

森口邦彦 氏(染色家、重要無形文化財保持者(人間国宝))

   

ランディーチャネル宗榮 氏(茶道裏千家教授)

   

坂井輝久 氏(京都創生アドバイザー)




主催者あいさつ


京都創生推進フォーラム代表  立石 義雄


 皆さんこんにちは。当フォーラムの代表を仰せつかっております立石でございます。

 本日はこのような雨の中、多数のご出席をいただきまして、誠にありがとうございます。

 さて、東日本大震災が発生してから4箇月が経とうとしております。多くの犠牲者へのご冥福と、多くの被災者へのお見舞いを、まずもって申し上げます。

 わたくしは7月1日、2日と福島県、宮城県の被災地を訪問してまいりました。復興に向けて着実に進められている地域もあれば、そうでもない地域もございます。まだまだ復旧という段階で、復興はこれからというような状況でございました。

 厳しい現実を目の当たりにしてまいりましたが、それにもまして不安定な政局、あるいは、ゴールの見えない原発事故、さらには、全国の電力不足などの課題が山積しており、多くの日本人が先行きを見通せない、前向きの姿勢になかなかなりにくい状況にあろうかと思います。

 しかしながら、このような時こそ、どんな時代の苦難も乗り越えてきました、1200年の歴史の中で培われた実績と経験に基づく、あらゆる知恵と力を総動員して、この京都から、これからの日本の進むべき方向性を示していく、また、そういった気概を持って、現在の苦境を乗り切っていくことが大変重要ではないかと思います。

 日本の文化の中枢都市・京都が世界で光り輝いているのは、守るべきものを守りながら、いつの時代も様々な生活文化、あるいは産業を創造する提案力があるからだと考えております。

 こうした京都の多様性と強みや、それぞれの知恵をさらに発揮して、これからのライフスタイル、あるいはまちの在り方そのものを、日本の自然や文化、風土に適合したものへと復元していき、西洋化された東京のまちではなくて、京都のこれからの都市のモデルを日本のみならず世界に示してくことが求められており、それこそが京都の役割であると思います。

 今回の大震災を契機に、心の豊かさを求めていく人々の欲求がより一層高まってくると考えております。わが国の社会、経済構造が大きく変化していく中で、京都こそが、安心、安全、健康、環境、食、省エネ、創エネといった新たな社会的課題を進取の気風を持って解決していく、そして次代に向かって新しい地域社会を創造していくとともに、日本の復興を支えていく力のある都市だと思っております。

 さて、本日のシンポジウムは、「外から見る京都 内から見る京都」をテーマにパネルディスカッションを行います。本日ご参加いただいた皆様が、京都の魅力を再確認いただくとともに、世界に向けてどのように発信し、伝え広めていくべきなのか、一緒に考えていただく機会になればと存じます。

 結びにあたりまして、本日のシンポジウムが京都創生実現に向けての力強い一歩となることを期待致しまして、開会のご挨拶とさせていただきます。今日は1日、よろしくお願い致します。どうもありがとうございました。





市長あいさつ


京都市長  門川 大作


 こんにちは。門川大作です。足元の悪い中、本当にこのように多数の方々にお集まりいただき、ありがとうございます。事務局から聞くところによると、申し込みが定員の3倍にもなったということで、関心の高さを、本当に心強く思っています。

 今回は、新しく改装された上七軒歌舞練場から初めて発信していこうということです。そして、本日7月7日は七夕です。また、この京都創生推進フォーラムの第7回目の開催でもあります。7が多く続きます。人類は7という数字が好きであります。お釈迦様は生まれた途端に7歩歩かれて、「天上天下唯我独尊」とおっしゃった。あるいは『旧約聖書』には、神様は7日間で天地を創造されたとあります。さまざまな困難な状況にはありますが、ここ上七軒から、7月7日から、京都創生の力強いメッセージを発していきたいと思っています。

 東日本大震災により現地は大変な状況にあります。私も現地を見せていただきました。京都市職員がまず率先して行こうということで、既に1300人もの職員が被災地に入って、いろいろな支援活動をさせていただいています。市の職員は、平均すると11人に1人の割合で被災地に入り、色々お役に立たせていただいている計算になります。

 経済界も、多くのボランティアの方々も、被災地と心を繋ぎ、さまざまな支援活動に取り組んでいただいていることに対しては御礼を申し上げたいと思います。

 また、仙台の七夕まつりの開催はどうなるのかというときに、立石商工会議所会頭が、仙台商工会議所会頭に電話をしてくださり、京都の祇園祭の囃子などを持っていきましょう、連携しましょうという働き掛けをおこなってくださいました。仙台の七夕まつりも、今年も8月6、7、8日で開催されることになり、京都からもお囃子や、傘などを持っていくことになりました。祇園祭が始まったのは、貞観11年、ちょうど貞観大震災が発生した年と同じです。疫病とともに、自然災害から平和な、平安な世の中をつくっていこうというのが祇園祭の始まりですので、被災地と連携していきたいという取組をご紹介申し上げました。

 さて、京都創生についてですが、いつまでも日本に京都があってよかった、と京都市民が実感し、さらには国内外の方々にも感動していただけるまちづくりをしようということで、この取組が始まりました。

 そして、7年前に京都をはじめとする全国の取組の中で、「景観法」が制定され、いち早く京都で新しい景観政策が始まりました。4年前に京都市議会で議論をしていただき、条例を定めていただきました。新しく建つビルや住宅等が、景観に適ったデザインになっていっていることを実感していただけると思います。また、看板も大きく改善されてきました。

 しかし一方では、まだ厳しい状況もあります。町家がなくなっていく、また西陣織や京友禅などの伝統産業が厳しい状況にあります。さまざま困難な課題はありますが、京都市民が頑張り、同時に国に対して「国家戦略としての京都創生」への政策転換も求めていく。そんな取組を皆さんと一緒に力強く進めていきたいと思っています。

 うれしいニュースもございます。今年のお正月から、観光庁と京都市が一緒になって、京都の文化、日本の文化を世界に発信しようということで、「観光立国・日本京都拠点」が京都市役所の中にできました。毎週、観光庁の職員が京都市役所に来て、一緒に仕事をしていく、こんな取組も始まっております。

 また、府市共同、オール京都により、京都ならではの「国民文化祭」をこの秋、大成功に導きたいと思っています。今年の2月には、東京で京都創生をアピールしようということで、「京あるきin東京」を始めました。おかげさまで、15万人の方にお越しいただきました。来年2月にも、しっかりと開催していきたい、そして京都の魅力を全国に、世界に発信していくと同時に、世界の宝、京都の創生のために、全国の方や、また国の政策としても支援していただける、そんな関係を作っていきたいと思っています。

 何よりそのためにも、京都の取組が重要であります。この上七軒通も電線電柱を地中化していこうという取組が始まりました。2年後にはすっきりとした情緒豊かな通りが完成することと思います。経済界からも、ガス灯のようなLED街灯を寄付していただけると聞いております。ありがとうございます。

 市民ぐるみで、さらにこの取組を力強く推進してまいりたいと思っています。これからもよろしくお願いします。





京都創生取組報告


京都創生推進部長  西野 博之


 皆様、こんにちは。京都市京都創生推進部長の西野と申します。本日は、京都創生推進フォーラムへ、たくさんの皆さまにご参加いただき、誠にありがとうございます。

 簡単ではございますが、京都創生の取組について、ご報告をさせていただきたいと思います。皆様ご存じのとおり、京都が持つ四季折々の美しい自然景観や、そこに溶け合う寺院、神社、京町家などの町並み、さらには、このような風土に受け継がれ、磨き上げられてきた伝統文化などは、国内外の多くの人々から愛され、高い評価を受けています。

 世界の宝、日本の貴重な財産である歴史都市京都を守り、育て、そして未来へ引き継いでいくため、京都市では、市民の皆さまとともに、景観、文化、観光の分野を中心に、全国に先駆けて様々な挑戦的な取組を進めています。

 例えば景観では、平成19年から、市民の皆様の多大なご協力をいただきながら、全国で最も厳しいといわれる建築物の高さ規制や、眺望景観の保全などの新景観政策などを実施しています。また、文化では、市内14カ所の世界遺産をはじめ、全国の約19パーセントが集まる国宝、約15パーセントが集まる重要文化財など、歴史的、文化的資産の保全、継承。さらに観光では、国際会議の誘致などに積極的に取り組んでいます。

 しかし、京都のみの努力では解決できない課題も数多くあります。まず、景観についてです。京都らしい風情を醸し出している京町家は、現在約4万8千軒残っていますが、相続税や、維持管理の問題等で継承が困難なために、毎年約2パーセントが消失しています。そこで、京町家を守るため、京都市としても平成17年に、独自の制度として「京町家まちづくりファンド」を設けて改修に掛かる費用を助成しておりますが、京都市だけではできることに限界があります。

 例えば、法律等の問題です。京町家は「建築基準法」が制定される以前に建てられており、「建築基準法」で定められた基準に必ずしも適合していません。この基準に合わせて改築を行いますと、今ある京町家をそのままの形で残すことができなくなります。さらに、電柱のない美しい町並み景観をつくりだす無電柱化も、1キロメートル当たり約7億円という巨額の費用負担が必要です。

 一方、文化につきましても、伝統文化や、伝統芸能、伝統産業など、京都には他の都市にはない独自のものが受け継がれていますが、後継者不足などの理由から危機的な状況にあるものも少なくありません。

 このように、日本の景観と文化の原点ともいえる京都の景観文化は、所有者や担い手だけに任せていたのでは、なかなか守りきれない面があり、一刻の猶予も許されない状況にあります。これらを保全、再生するために、国による支援が何としても必要となっています。

 そこで、「国家戦略としての京都創生」です。京都市では、平成15年、梅原猛先生に座長をお願いしました京都創生懇談会から、「国家戦略としての京都創生」の提言を受けました。この提言を受けて、「国家戦略としての京都創生」に向けて、国への働き掛け、そしてこの京都創生推進フォーラムを核とした市民の自主的な活動を支援する取組、それから、京都創生のPR活動。この三つを柱に取組を進めております。

 特に国への働き掛けにつきましては、国の予算編成時期などを中心に、国が主体的に制度的財政的な特別措置を講じるよう、国に対して提案、要望を行っております。また、国の関係省庁や、有識者の方々と京都市職員とで構成します「日本の京都研究会」を設置し、国家レベルでの京都の役割や活用方策の研究を進めております。

 これまでに、これらの取組を通して、提案、要望内容の幾つかは既に実を結んでおります。まず、景観の分野では、平成19年度に「景観法」に基づき新設された制度を活用して、京町家などの改修を行っております。さらに平成20年度には、「歴史まちづくり法」が制定されるとともに、この法律を推進するための新たな制度を活用して、歴史的建造物の改修とともに、無電柱化や、道路の美装化を推進しております。

 本日の会場であります、この上七軒歌舞練場につきましても、京都創生の取組の成果が反映されております。上七軒歌舞練場は明治30年代の建築とされておりまして、昭和26年に現在の形となっております。また平成21年に、耐震性の確保と快適な劇場空間を提供するために大規模工事を行っておられます。京都市からも、平成19年度から一部の助成を行い、大屋根や外壁等の修理に対しては、「歴史まちづくり法」を活用した助成を行うと共に、周辺の歴史的町並みの修理、景観工事に対しても助成を行っております。また、上七軒通の無電柱化、道路の美装化工事に、来年度の完成を目指して着手しております。

 次に文化の分野では、京都市内をはじめ、文化財が多数現存している関西に、文化庁の窓口が必要であると、文化庁の関西分室の京都設置を国に対して働き掛けてまいりました。この結果、京都国立博物館の中に、関西元気文化圏推進・連携支援室が設置されるという形で実現いたしております。

 また、京都市が所有管理しております二条城では、国の補助制度を活用して、二の丸御殿、本丸御殿等の本格修理に向けた調査工事や、障壁画の保存修理を実施しております。二条城の本格修理には多額の費用が掛かります。そのため京都市では財源を確保するために、二条城一口城主募金というものを作り、多くの皆様に募金のご協力をお願いしているところです。

 さらに、文化財の防災の面でも、新設された補助制度を活用し、清水寺や、その周辺の文化財、地域を火災から守るため、高台寺公園地下と、清水寺境内の2箇所に、25メートルプール5つ分に相当する耐震型防火水槽や、法観寺境内に文化財延焼防止防水システムを整備したところです。

 次に、観光の分野では、今年1月から観光庁と本市が、外国人観光客誘致の活動や、受け入れ環境の充実などに取り組むための共同プロジェクトとしまして、「観光立国日本・京都拠点」を実施しております。これは、国内の一観光地域にとどまらず、日本を代表する国際的な観光地として、また観光プロモーションをする際のコンテンツとして大きな役割を担っている京都を、世界トップ水準の外国人観光客の受け入れ体制を整えることで全国のモデルとしようとするものでございます。この取組を通して、政府が目指す観光立国に向けて、牽引的な役割をこの京都が果たしていきたいと考えております。

 このほかにも、一昨年ニューヨークで実施しました「京都創生海外発信プロジェクト」の成果として、世界の歴史的建造物などの文化遺産の保全、保護活動を行っているワールドモニュメント財団から、京町家を改修して活用する京町家改修プロジェクトに対して、相額25万ドルの支援を受けました。

 このように、国家戦略としての京都創生の取組により、国において、景観や歴史町づくりについての新しい法律や、補助制度が創設され、京都の歴史的景観の保全・再生や、文化財の保存・継承の取組に大きな成果をもたらすとともに、全国の自治体で進められている歴史、文化を生かした町づくりを牽引するという大きな役割を果たしております。ここに、この京都創生の取組の意味があると考えております。

 この京都創生の取組は、国に求めるだけではなく、京都の団体や企業、市民の皆様と、京都市が手を携え、取組を進めなければなりません。そのため、京都創生推進フォーラムを中心として、京都創生の取組の周知や、市民の皆様の自主的な活動を支援し、京都創生推進の機運の醸成を図っております。

 今年2月には、初めての取組となる首都圏における京都創生PR事業、「京あるきin東京」を京都ゆかりの99の企業、団体、大学の皆様にご参画いただき開催しました。そして、京都の魅力を発信する50の事業を集中的に展開しました。京都創生百人委員会委員の坂東三津五郎さんや、フリーアナウンサーの渡辺真理さんにもご出演いただきました。この催しは、マスコミにも多く取り上げていただき、改めて京都の底力を実感したところでございます。

 今後も京都の持つ強みを最大限に生かし、京都市の魅力をさらに高めることにより、京都から日本全体を牽引し、日本を元気にしていくという気概を持ち、100年後、1000年後も、日本に京都があってよかった、世界に京都があってよかった、と実感していただけるよう、さらに取組を進めてまいりたいと思います。

 最後になりますが、本日ここにお集まりの皆様におかれましても、このフォーラムをきっかけとして、京都の新しい魅力を再発見していただき、また、それを身近な人々に広めていただき、「国家戦略としての京都創生」の取組について、お伝えいただければ幸いでございます。

 皆様方の一層のご支援と、ご理解、ご協力をお願い申し上げまして、京都創生の取組報告とさせていただきます。




パネルディスカッション  「外から見る京都 内から見る京都」



パネリスト

河P直美 氏 (映画作家)
森口邦彦 氏 (染色家、重要無形文化財保持者(人間国宝))
ランディーチャネル宗榮 氏 (茶道裏千家教授)
坂井輝久 氏 (京都創生アドバイザー)





坂 井

 それでは、これからパネルディスカッションを始めたいと思います。

 今日のテーマ、「外から見る京都 内から見る京都」ということについて話し合い、今後より魅力的で、いきいきとしたまちづくりを、どのように進めていったら良いのかについて、今日お集まりの皆さんと共に考えていきたいと思います。

 今、日本は3月11日の東日本大震災以来、大変な苦難の時を迎えていると思います。あらゆる事柄が問い直されているのではないかと思います。大げさに言えば、近代文明そのものが問われているのではないかと思います。私たちが住んでいるそれぞれの地域、町についても、しっかり見直していくときに来ているのではないかと思います。

 今日は、直接そういうことをテーマにしているわけではありませんが、話の内容として、そういうところへ繋がっていくのではないかと思います。

 それでは、最初に、今日出席いただきました各先生方に、自己紹介を兼ねて、それぞれの活動について話をしていただこうと思います。

 まず、ランディーチャネルさんからお願い致します。



ランディー

 私の来日の目的は武道の勉強でした。まずは剣道を一生懸命やって、そして居合道、なぎなた、二刀流もやりました。しかし、それは昔の話で、いまはお茶が中心です。

 なぜお茶を始めようと思ったかというと、武道ばかりでは、文武両道精神のなかでは、バランスが悪くなると思ったからです。

 剣道の先生は、書道の先生もしていました。そのため、書道も少しやりました。また、知っている人にお琴の先生がいて、お琴も少しやりました。ただ、二つとも残念ながら才能がありませんでした。

 隣の家に住んでいる人が、お茶の先生をしていました。それが私とお茶との出合いでした。最初、見学のために先生の家に行ったとき、すごく面白いと思いました。どうしてそう思ったのか。そこには武道との共通点が多くあったからです。ある人の考えでは、お茶と武道とは全く違うものでしたが、私自身は同じものだと思いました。まず、どちらも何々道というように、同じ「道」が付いていますし、茶道の姿勢、歩き方、お辞儀の作法とかに、武道との色々な共通点があり、それが面白いと思いました。昔の時代を見ても、利休と秀吉との関係のように、侍と文化人が繋がっており、そこが大変面白いと思いました。 

 昔は武道の稽古を毎日やり、お茶は趣味でやっていましたが、今はその逆の生活になりました。

 「京都」という漢字をインターネットで検索すると、1億7百万件位ヒットしますが、英語の「Kyoto」で検索すると2千5百万件位しかヒットしませんでした。しかし、面白いのは、京都を写真で同じように検索したら、「京都」では74万8千件なのに対して英語の「Kyoto」では831万件もヒットします。これを見ると、海外の人が京都に対して、映像イメージを強く持っていることが解ります。海外の人が京都で写真を撮るときは、京都のすごいところばかりが中心です。特にお寺が多いです。日本を海外から見るときは、お寺が一番大切です。

 文化では、海外でも以前から禅はかなり有名だと思います。他に、浮世絵、能、生け花、歌舞伎、盆栽が有名です。盆栽は、多くの英語の本が出ており、読むと面白いです。日本の楽器、習字も有名です。

 しかし、やはりナンバーワンは武道です。剣道、柔道、弓道、相撲、空手、合気道、少林寺拳法、なぎなたと、柔剣道。この九つは、日本武道協議会が規定する武道です。他にも、昔から続いている武道もあります。

 私の専門は茶の湯ですが、利休の四規、「和敬清寂」という言葉は、400年前でも、今の時代でも通用する言葉ではないでしょうか。



坂 井

 それでは次に森口さんにお願いしたいと思います。



森 口

 私からは、堅苦しい話になってしまいますが、私がどんな思いで友禅染に関わっているかについてお話したいと思います。

 私は、日本伝統工芸展で染色家としてデビューをさせていただいき、周囲の励ましを受けながら、多くを学び、自分自身を投影することのできる友禅という場を見つけました。

 日本伝統工芸展というのは、1954年以来、国の「文化財保護法」の精神に則り、歴史的あるいは芸術的に大変重要な工芸技術の保護と、その後継者育成を目的として毎年開催され、全国に巡回しています。京都では、例年10月の中ごろに開催されています。

 私は、この展覧会に1967年からずっと出品をし続けています。ホームページ等でご覧いただいている私の作品は、「幾何学」模様による友禅への新しい提案をし続けてまいってきたものですが、今日はそういうものとは少し違った作例をご覧いただきながら、私の友禅について話してみたいと思います。

 私は女性のための友禅を染めておりますので、女性の体型について申しますと、西洋の女性に比べて日本の女性は平面的だとは思いますが、やはり肉体は立体的であります。その立体を包む着物の図柄が平面的であったり、絵画的であったりして良いものであろうか、あんなに多くの色柄を着物に付けて果たして良いものであろうか、というところから私の友禅染への道というか、疑問が湧いてまいりました。

 友禅の衣装は、体の立体性と解け合いながらも、所作や動作の中で生きてくる模様にこそ、本来描くべき模様であるのではないのか。300年の歴史の中で培ってきた技は、本来、その形を留めることが目的なのではなく、その時代の表現として、身体の美しさを求めるべきではないかということと、進歩する建築技術とともに新しく生まれ変わる生活空間の中で、生き生きとした美しさを発揮してこそ、晴れ着としての友禅染が生きるのではないか、ということを考えて作品をつくり始めました。こんな思いで私はつくり始めましたので、お花や鳥や景色というものが一切ない着物づくりへ入っていきました。

 私は、色を極端に少なく使って、帯との色合わせとか、様々な演出を、着る方自身ができるようにするのが本来の着物の文化ではないかと思います。

 江戸時代、1680年ぐらいに友禅染は誕生しているのですが、それから300年余、あるときは時代の最先端の芸術として、あるときは時代の証言者として、それぞれの時代の衣装をつくり続けてきた素晴らしい歴史を、友禅染は持っております。過去の名品から教えられることは限りなくあっても、それを模倣するものではありません。それぞれの過去の素晴らしい名品をつくった工人たちが、つくりながら求め、成し得なかったところがいかなるところにあるか、ということを私たちは、作品を拝見しながら、彼らが求めたところを求めて、新しい友禅の歴史を積み重ねていきたいと思っております。


※スライドを使用して昭和40年代・最近の着物作品について解説



坂 井

 どうもありがとうございました。本当に着物ってすごいなと、皆さんも思ったと思うのですが、こんな斬新なものが、生まれてきた背景には、きっと京都があるのではないかと、私は思っています。

 では、河Pさん、よろしくお願いいたします。河Pさんは今、世界から注目されている映画作家であります。ただ、京都にはお住まいではありません。隣の奈良にお住まいです。ですから、隣の町から見てということも少し含めていただけたらと思います。

 よろしくお願い致します。



河 P

※カンヌ国際映画祭の様子と予告編を上映

 よろしくお願いします。カンヌに5月に行ってきました。今回招待されました映画は、『朱花(はねづ)の月』というのですが、万葉集の中から取らせていただいた言葉で、「朱花」というのは赤を意味しています。この映画の予告編を、少し見ていただきたいと思います。

 映画等については,後で詳しくいろいろお話しできる機会があればと思います。



坂 井

 どうもありがとうございました。

 それでは話を進めていきたいと思います。現在3人はそれぞれ違ったことをなさっていますが、共通するのは、文化活動に携わっておられることだと思います。

 これからのまちづくりにあたっては、文化ということが非常に重要なポイントだと思います。今日は文化の面から話を進めていければと思っております。

 今からまちと文化について話を進めていきたいのですが、この京都について、文化的な側面から見てどのような魅力があるのかを伺います。僕は、森口さんの作品の背景には京都があるのではという印象を持ったので、そういうことを含めて、京都のまちの文化的な魅力を少し話していただけませんでしょうか。



森 口

 京都の魅力について、私の生活環境の中から話したいと思います。

 まず、私の住んでおります小川通というのは、ランディーさんのお茶の家元があります道で,それをずっと南の方へ下っていった所です。まちの中には、お酒屋さんもお寺もありますが、町内60軒のうち、約80パーセントが染め物に関わる人で、紋糊を置く人とか、紋上絵をする人とか、専門職の人が周りに住んでいます。一つの着物を完成させるのに、様々な職人がそこにかかわりますが,お人柄を知ったうえでお仕事をお願いでき、同じ町内で一つのものが楽々と完成できる、そんなまちであります。というか、「でありました。」と言うべきでしょうか。段々と部分的な職種が成り立たなくなってきており、私の町内でも半分以上がお仕事をお辞めになったような感じになってしまいました。

 そういうまちに私は育てられ、そして、私の父は既に作家として世に認められていましたから、私も当然その道を歩むものという風に思われていましたし、私もその道を歩みたいと思い、一度は捨てた京都に、また舞い戻ってまいりました。

 その京都で私が何をすることで友禅に役に立てるだろうか。既に、まち全体が、皆さんが着物、特に友禅染に関わっている中で生活しておりますと、自分が何かの役に立たないことには意味がないことを、ごく自然に客観視できるような環境で仕事を始められたことは、今から思えば、とても大切なことではなかったかと思います。作品の出来映えは、個人の感性から出てきているものでしょうけれども、独創的なものでなければならないというような方向に自分自身を位置付けながら、その中で自分を見つけたいと思ったのは、そういった環境のおかげだろうと思っております。



坂 井

 ある種、古いものですけれども、そういうところで、自分を何とかこのまちで生かしたい、独創的に生きたい。そういうところが原動力になっているということでしょうか。



森 口

 京都と、私が青春時代を過ごしたパリという所は、似て非なるまちと思うのですが、パリもまた、独創的な世界を自分なりに持っていなければ誰も見向きもしてくれないまちであるのです。

 河Pさんのフィルムの中で、フランス人が話ししていたような、ユニバーサリティーとか普遍性みたいなものへの足掛かりというのは、今までつくられたものでは言い切れていない、何かまだ先輩方がやり残されたものがあるのではないか、という気持ちで古典の作品を見ることによって、自分自身が出てくる。そういう客観性を持たせてくれる、自分自身を客観的に見させてくれるまちが、京都ではないかという気がします。



坂 井

 河Pさんの場合は、奈良に深く関わりながら活動されていると思うのですが、京都と比べながら話をしていただけませんでしょうか。



河 P

 比べることは簡単にできないです。皆さんそれぞれの道で、それぞれの活動分野を通して、深く掘り下げていった結果が、今ご紹介されたようなことになると思うのですが、ずっと聞いていて、森口さんは、お父様も人間国宝でいらっしゃって、私が一つ世代の下の人間だとして、これからの京都の若者が、例えば森口さんのようになり得るのか。森口さんが育たれた景観も、ご職業もどんどんなくなっていき、世代がどんどん変わっていき、世の中が変わっていっているなかで、私は常に自分の作品をつくりながら、次の世代へ繋げるにはどうすればいいだろうかということを、割と客観的な目で考えています。

 自然にそれができれば、人間は、一緒に暮らしている地域を大事にしていくでしょう。つまり、次の世代へとそれを継ぎたいという意味で、活動を自然と行動に変えていくのだろうと思うのですが、この数十年を見ても、日本はどんどん変化してきているのではないでしょうか。ランディーさんが日本に来られた時代からみても、日本の変容はすごいのだろうなと思います。その中で、京都とか奈良というのは、世界から見ても古都と言われ、解釈は一杯あるので申し訳ないのですけれども、奈良は最初に国のかたちが出来上がった場所なので、私も映画の中では日本人のふるさとのような言い方をしています。

 でも、京都から見たら奈良は南都といわれていたので、田舎です。さらに、描いた地域は藤原京です。平城京ではない藤原京ですから、南都のもう一つ南で、どんどん田舎というか、古い過去みたいに思われていて、今の時代のスポットライトを全然浴びないかたちになっているのだと思います。

 しかし、紐解いていくと、私たちは大陸から来ていて、アジアということを考え出さなければいけなくなります。もっと言えば、私は映画祭とか色々なことを通して世界の人たちと交流していると、地球ということを考えます。

 だから、個々のことだけを語るというよりは、そして、1個と1個を比べるということよりは、行き着くもっと先は、皆さんと同じところになるのではないかと思うのです。



坂 井

 そうしましたら、ランディーさんに、どうして京都に住むようになったのか、それこそ京都に何か魅力があったからではないか、また何か意味があったのか、ということについてお尋ねしたいと思います。



ランディー

 京都は、よく言われていますが、国際的な場所です。京都と言ったら、京都は日本にあると皆が分かっている。でも、実際に来ると、京都は小さく狭いまちです。そのギャップが面白いです。もちろん、私にとっても、京都は日本文化のメッカです。

 私は、元々長野県に住んでいて、そこで武道の勉強を含め色々と始めましたが、京都で大会に出る機会があり、そのときに京都に来ました。思っていたよりも狭いまちだと感じました。それが最初の京都との出合いです。最初に来たときから、すごくきれいなまちだと思いました。まちの中に川があったり、緑もあったり、私はカナダ人ですから、山というには失礼ですが、丘ぐらいの山が周りにあってりで、すごくきれいなまちだと思いました。もちろんお寺とかもあり、文化的なまちだと思いました。

 それだけではありません。私はいつも言っているのですが、京都は和洋折衷、東洋と西洋のバランスが非常に面白いまちです。例えば、明治屋に行ったとき、懐かしい食べ物とか、色々なものがあり、本当にすごい、いいなと思いました。長野県の松本には外国人向けのお店はありませんでした。私は、懐かしいなと思いながら涙が出てきましたが、買おうと思って値段を見て、また涙が出てきました。そういうこともありましたが、京都は外から見ると、日本文化との繋がりが一番強いまちです。それだけではなくて、日本の中でも京都の文化は一番強いと思います。



河 P

 京都は、都がずっと長い期間あったという時間の層も関係しているのでしょうか。



ランディー

 そうですね。もちろん、奈良にも都はあったけれど、海外の人は、歴史にそれほど詳しくないので、多分、京都の方が外で出ているイメージ、京都のブランドのイメージが中心なのだと思います。



河 P

 あまりにも長すぎる歴史の中で、外から入ってくることは難しくなかったですか。



ランディー

 外から何も分からないで入るほうが入りやすいかもしれません。私が京都へ引っ越す前に、松本の人に、今から京都に引っ越すと言ったら、京都の人はこうだよとか、色々と言われた。でも、私自身はどこでも一緒です。そういうことです。



坂 井

 次の世代のことを河Pさんがおっしゃっていましたが、どうしたら次繋げていけるのか、ということが今は重要なテーマであろうかと思うのですが、次に繋げていくためにはどうしたら良いでしょうか。



森 口

 ランディーさんのご発言に続けますと、ランディーさんが松本から京都に行くときに、京都は“やりにくいところ”であるというようなことは、多分言われてきた筈です。

 ランディーさんがすごく上手なのは、文武両道で、両方とも使っておられるところです。武道何段とか一杯お持ちでしょう。やっぱり強くないと。京都でも強い人。京都は弓道を中心に、様々な武道の流派も、道場もあると思いますが、ランディーさんは既に、武という、強さを争って明確に結果の出る部分でかなり強かったのです。その強さを持って京都に来て、この雰囲気があれば、やはり京都の人も「まあどうぞ」と言いますよ。実際は松本で心配されたようなことはなく彼が受け入れられたのは、やはり、武が強いというユニバーサリティーの部分で、一つのパスポートを持って京都に入ってこられたからだと思います。

 つまり、長い時代を重ねて、様々な国を支配した人が、この京都を通り過ぎて歴史を作ったから、京都の人は大変迷惑を被っただろうけれども、それなりのインキュベーターというか、物をつくり出す容器として、京都独特の酵母菌みたいなものが醸成されてきたと思います。

 ランディーさんの面白いところは、武の強さで入ってこられて、勝負ではないお茶というソフトな部分の世界にすっと入られた。こういう部分が分かって入ってこられると、すごく京都は面白いまちだと思います。

 若い人たちとの共存についてですが、京都は小さな町なのに、こんなにたくさん大学があり、しかも4年、6年、あるいは8年おきに、その人たちが、どきなさいと言わなくても入れ替わってくれる、すごく良いシステムがある場所なので、京都にいる学生さんたち、つまりまだ市民税を払っていない人と、我々のように市民税を払い終えた世代とが、どうやって面白いことをするか−その取組によって、この町はさらに面白くならないかと思っています。



坂 井

 すごいアイデアですが、河Pさん、どうでしょうか。



河 P

 京都は、人を選ぶまちです。そういう意味で、ランディーさんも選ばれた人だと思います。カナダではどういう少年だったか分からないですが、非常に頭の良い方だと思いますし、非常に身の振り方、タイミングもわきまえて人と接してこられたのだと思います。

 今日、この場所にいらっしゃっている方も、選ばれて来られていると思います。皆さんは今日の話をちゃんと理解されて、ご自身の生活に落とし込める方なのだろうと思います。こういうフォーラムに、雨の中、わざわざ来られるというのは、本当に素晴らしいと思います。

 私のような若輩者の言うことも一生懸命に聞いていただき、ここで発言させていただく人間としては、ちゃんと背筋を伸ばして、自分の経験を通して、まっとうなことを言わなければいけないという“しつらえ”になっていますし、舞妓さんが踊られたりとか、こんな素晴らしい場所に座らせていただいたり、こういうことをずっとしてきているのが京都なんだなと思います。

 カンヌには、2300人のお客さんが一挙に映画を見られるメイン会場があります。そこは、皆さんもご存じのレッドカーペットのある階段を上がっていくところなのですが、メイン会場はすごく古く、全然最新の感じに見えないのですが、あの会場にはプレミアチケットを手に入れた2300人の者しか入れなくて、ずっと価値を下げないのです。

 今日の会場の建物も、金ぴかにはしておらず、木造建てで、一見古い感じで、最先端には思われない節がありますが、カンヌと全く同じ雰囲気です。京都は、京都というブランドをずっと価値を下げず世界に発信してきているので、ランディーさんが言われたように、京都は世界の人が知っています。なのに、今またこういう風に「京都創生」という新たな取組をどんどんしていこうとする活力は素晴らしいと思います。

 奈良は田舎なので、ずっと同じことをやり続けるのはすごく得意ですが、時代になかなか乗れなく、奈良の人は、いつも発信下手とか自分たちのことを言っており、また京都を横に見ながら、できないという感じで思っています。

 私は奈良で生まれ、育って、自分の子どもも育てていますが、私はそういうおおらかさが好きで、あまり背筋を伸ばさなくても、そこで受け止めてくれるような感じが奈良の魅力としてはあると思っています。



坂 井

 京都というのは、色々な求心力で世界から様々な人を集め、注目も集めている。ランディーさんも、それで京都に入ってこられた方だと思うのですが、先ほど森口さんが、すっと上手い具合に入ってこられてきた、と言われましたが本音のところで苦労はなかったのでしょうか。



ランディー

 それは別に京都だけのことではなく、先ほど言ったように、自分がそう受けとるとそうなってしまうけれども、私はかなり前向きなのと、マイウエイなので、割と苦労はなかったです。他の友達が、色々と言っていることでも、私にとっては全然面白いことですし、苦労はないですね。

 どこの場所へ行っても一緒です。私は区別をしたくないです。それよりもまず第一に、人間は人間です。



坂 井

 それでは話を変えますが、今それぞれ文化的な活動をしておられますが、それを例えば天才的な人が引っ張っていくということではなく、生活の中に、例えば茶道でしたら、周りの人も一緒にやらないとなかなか次の世代に移っていかないとか、森口さんの場合でも、着物を日常生活の中にちゃんと生かしていかないと次の世代に繋ぐことが難しいのではと思うのですが、そういうようなことが、生活の中で、弱ってきていると感じるのですが、どうしたら良いのでしょうか。



森 口

 どうしたら良いか分かれば、そのようにしたいとは思うのですが、なかなか見つからないと思います。東日本大震災のことについてお話しせざるを得ないと思うのですが、あれは、言いかえれば<日本古来の文化>というプレートの下側に食い込んできた、<近代文明>というプレートが、“ボンッ”と炸裂し、今は日本古来の文化が亀裂を起こした状態に置かれていると思います。

 それを、私たちは、一日一日かけて修復していく必要もありますが、その修復は、以前に戻るのではなく、歴史の流れの中で、運命的な流れをちゃんと受け入れながら、斜めに逃げたり、すり抜けようとしたりするのではなく、私たちは、日本古来の文化が受けた亀裂に、まず正対することが今は大事です。

 ずれ込んできた近代文明を全て否定すればそれで良いなら、自分たちの存在そのものを否定することになりますので、そうではなくて、正対しながら、しっかりとまず一番手前から修復していこうとしなければいけません。大前提として、「それは国がやるんだ、京都市がやるんだ、行政がやるんだ。」と言ったって、収まるものではなく、私たち一人一人が、毎日の生活の中からどうやって日本古来の文化と正対できるか、ということがそれぞれの人間に求められているのではないかと思います。

 その後、そのような日本古来の文化を大切に思うかどうか。それについては、強要できるものではありません。そうしたいという人たちが集まれば、一つの力になり、ある運動が起きて、文化活動になると思うのです。その文化活動以前の問題で、私は一人一人の意識の問題であると思います。



ランディー

 私も同じ考えです。



河 P

 自分の子どもが今年小学校に入学したのですが、自分たちの国の教育を本当に考えなきゃいけないなと思います。学校に任せきりにしたり、勉強だけができればいいと考えたりする話ではなくて、人間として、日本人としてどんな文化、精神、誇りを持ってこの場に立っていられるのか。そういう人間を育てていくことが必要なのだと思います。

 海外へ行くと、若い人たちでも「自分のまちが好き」と大きな声で言う人は結構多いです。私は奈良で生まれましたが、学生時代は、周囲の大人から「奈良では何もできないから外に出た方が良い。」と言われていました。実際みんな外に出ていったりしました。結局は、そういう場所にはなかなか誇りや愛着を持てなく、都会へということになってしまいます。

 古いまちだからこそ、今まで知らなかったことを掘り下げれば、どんどん宝物が出てくる。子どもたちがそういうものと出合っていく場がまちのあちこちで、学校の枠内だけではなく地域でも一杯起こってくれば、おのずと20年後、彼らが成人した後、そのまちがすごく元気になると思うのです。

 後は、本当に政治力と言いますか、私が今回描いた1300年前にも、政治がうまく機能していないときは、貧困も含めて暴動とかが起こっていたわけです。政治のリーダー的存在の人の判断力、決断力、そういうものが今すごく求められていますが、そういうところだけに私たちの世代が求めるのではなく、自分たちがやっていくのだという、自主性をもっと持たなければいけないのだろうなと、子どもを産んで7年経って、特に40歳を過ぎてそう思います。

 自分の役割、今の世代の役割、30代、20代の子たちの役割とか。そういった、昔は日本列島全部にあった常識的な、世代世代の役割がものすごくアバウトになってしまい、何が正しいことなのか、みんながよく分からなくなっていると感じます。そういうところに、私はものづくりに携わる人間として、芸術とか文化というのは、一つの指針を述べられるのだろうと思います。

 今回の震災のとき、私は東京にいたので、本当に死ぬかも知れないと思いましたし、情報が寸断されてしまっているので、一体どうなっているかも分からない中で、私は自分を守ろうと思いました。何のためにというと、子どもに会うためにと思いました。それが人間の基本と思います。自分を守る、命を守る。それは次に繋いでいかなければならないという何かが、伝令的にすごく働いたのだと思います。

 恐らく津波で被害に遭われた方もみんな同じ気持ちだっただろうし、どんなビジネスマンでも、どんなおじさんでも、みんな家族のことを思ったのではないかと思います。その延長線上にまちづくりというのを捉えれば、何も難しいことではないし、個人に置き換えて考えれば、政治も自分のものだと思えるし、教育も自分のものだと思えます。

 だから、私も森口さんと全く同じ考えであると思います。



森 口

 行政や学校に頼ってはいけない。もちろんしっかりやって欲しいし、こういう場をつくることによって、みんなと一緒に考え合うことは大切なことですが、ここにお集まりの皆さん一人一人が、それぞれの環境の中で、今日我々が話したことをもう一度反芻し、自分でできることをやってみようと思っていただけたら、“掛ける”400人の力になりますから、すごいことでしょう。そういう意味で行政の力は大きいけれども、やはり行動するのは私たち一人一人なのだということを忘れてはいけないと思います。

 昨日、私は雑誌の鼎談で、着物の話をしていたのですが、だんだん着物が日常生活から遊離してしまい、晴れ着としての友禅がどうなっていくかという話の中で、杉本秀太郎先生がおっしゃったのですが、「夏目漱石の時代の大正5年までは小袖と言っていました。いつから訪問着になったのでしょうか。」という話になりました。現在の訪問着とか、留め袖とか、色留め袖とかの形態は多分大正初期に、問屋さんたちによって形づくられたと思うのですが、漱石も晴れ着のことを小袖と呼んでいました。

 一つ印象的な俳句がありましたので紹介いたします。季節は今です。「五月雨や小袖をほどく酒のしみ」。これはまさしく花街の置屋さんの風景で、梅雨の頃の話だろうと思いますが、つい100年経たない前まで小袖と言っていた。その小袖というのは、平安時代の十二単の一番下に着ていた下着であったという歴史を踏まえながら、これからも私は晴れ着をつくり続けていきたいと思います。それで、伝統的な生活文化が、次の時代にも、形を変えながらも何か文化の持っていた品位みたいなものを伝えながら、続いていって欲しいと思います。

 先ほど、河Pさんのお子さんが1年生になられたという話を聞いて、思ったのですが、この頃は、小学校の授業にお習字がないそうです。できたら家で、墨汁じゃなく墨を磨って、にかわのいい匂いがしてきたところで書く、上手でなくていいから、白い紙に黒い線で、自己表現としてお習字を、学校でできないのだったらお家で、週に1回でもやっていただけたらと思います。

 新聞で、柔道や剣道を中学校で教えるという話があり、指導者が上手くないと怪我をするので、お医者さんが待ったをかけたという話がありましたが、書道なら怪我はないので書道と考えました。

 膝が痛ければ,膝を崩し書いても良いと思います。つまり、〈形から入る書〉ではなくて、〈表現的な書〉でいいと思います。形から入る美しい書も残しておきたいとは思いますが、まず、墨と筆に親しんで紙を使い、何か手に親しみのある、竹と、動物の毛と、紙と、にかわと、墨。そういう体験をしておくと、大人になったときに、ふと墨の香りがしたとき、子どものころを思い出したりします。そういうことが本当の文化だと思います。だから皆さん、お習字を始めてください。



坂 井

 『朱花(はねづ)の月』のタイトルは、河Pさんが自ら書かれたそうです。



河 P

 私の息子も週1回、お習字をやっております。



坂 井

 ランディーさんの茶道ですが、今、日本人はあまりやっていませんが、その点はどうですか。



ランディー

 400年前に考えられたお茶の始まりでは、お茶は伝統的なものではなかった。「the times they are a changin」という言葉があります。ずっと同じものばかりやると、多分、飽きてしまうのだと思います。

 お家元、大宗匠、本家のところが、ちゃんと文化的なところを守り、私とか、ほかの社中の人たちは、魅力的なところを教えないと、多分後についてこないと思います。

 実際、茶道に興味を持っている人はかなり多いです。私の店でお茶の体験をやると、今は千人を超えます。それだけ興味を持っている人がいるということです。どこまでやりたいかはまた別の話ですが、一応、お茶のことに興味は持っている。だから、その人たちにどうやってお茶を紹介するかが大切です。



河 P

 お茶をやれば、こんなにすごいことになるということが、もっとアピールできれば良いということですよね。



ランディー

 そうですね。私は、毎朝起きて、ちゃんと茶室へ行って、お茶の点前をやって、お茶を飲んだとしても、それはお茶じゃないです。それは毎朝コーヒーをつくって飲むのと一緒です。

 私がなぜお茶をやるのか。それは自分のためじゃなくて、お客さんのために一番おいしいお茶をつくりたいからです。その気持ちがないと駄目です。自分の練習とは違い、一番おいしいお茶を、あなた様のために一服を差し上げたい。その気持ちがないと駄目です。



坂 井

 最後に、今後のことも考えながら、皆さんへのメッセージも含めながら、一言ずつお願いできますか。



河 P

 私は、震災が起こったときに東京にいたと言いましたが、まず自分の身を守らないと、と思ったのと、揺れを感じながら祈りました。日本人には祈るという心がずっと昔からあったし、世界にもあると思います。その次に家に帰りたい、息子を抱きしめたいと、家族を思う気持ち、地域を思う気持ちが芽生えるのですが、その後は無気力になりました。私よりもすごい被害に遭っている人、亡くなった方たちのことを思うと、自分がするべきことは何だろう、何もできないなというふうに思ったのです。

 そのときに、ずっとぼんやりしていながら、やはり自分は映画作家としているのであれば、そこで地球規模で手をつないで何か形にしていくことができないだろうかと思い、カンヌでも記者発表をしましたが、3月11日にちなんで、3分11秒の映像を世界の監督さんにつくってもらいいただき上映をし、みんなで祈りをささげたいと思っています。できれば5大陸からそれぞれつくっていただいて、それを一つにして、9月11日に上映したいと思っています。

 奈良の吉野山に金峰山寺という所がありまして、ずっと修験道の聖地といわれていて、自然の中から人が祈りを通して学んでいる山伏の人たちがいるのですが、その方が、今回の震災で、何かしら津波が悪いとか、自然が悪いとか、それをブロックする考えがみんなの中にもしあるとしたら、それは違う、揺れはまだまだ鎮まっていない、ということを言われています。

 それはつまり、具体的な揺れではなく、色々な意味で人の心の中の揺れが鎮まっていないから、自分たちは毎日2時46分に、護摩をたいて祈りをささげているのだと言われていたのです。

 ですから、9月11日に、世界の監督からの3分11秒の奉納上映をして祈りをささげたい。何のことはないのですが、祈りということで心を一つにして捧げたいと思っています。

 その後も、被災地を巡回して上映したり、東北地方の映画祭と手をつないで、そういう映像を皆さんに繋げていきたい思います。私は具体的な支援を映像を通してやろうとは思っていません。私は支援ということを自分の表現の中に入れてはいけないと思っていて、自分の事を表現すれば良いと思っています。

 そういう意味で一つのテーマとして、「Sense of Home」を掲げています。つまり家という感覚。家というのはホームタウンかもしれないし、自分の具体的なハウスかもしれないですが、地域ということも含めて、南アフリカの人の「Sense of Home」、南米の方の「Sense of Home」、色々な地域の人たちの「Sense of Home」を集めて、地域ということを考えたり、人間ということを考えたりしたいと思っています。



森 口

 河Pさんと同じように、「3.11」のときには虚脱感を感じました。しかし、日本古来の文化に入った亀裂を何とかこれから修復していくためにも、私の人生を懸けて文化財保護の活動に邁進してきたことは間違いがなかったという思いで、後輩たちが、次の世代の方々が、また新しい姿の日本をつくってくれるように、まだつくったことのない素晴らしい作品を1点でも多く残していくことが、私本来の仕事だと思っております。

 最後に具体的な提案ですが、国際的にも、日本や京都や、あるいはそれぞれの文化の個性というものが述べられていますが、共有できる部分はたくさんあります。その中で非常に京都らしい、日本らしいと思える「お先にどうぞ」ということを、最近の日本の方々が、電車の中でも、駅でも、お忘れになっていないかという思いがいたします。

 「お先にどうぞ」は、英語にも、フランス語にも、ドイツ語にもありあます。取りあえず「お先にどうぞ」と言う、これをもう一度日本人が思い出し、「お先にどうぞ」「お先に失礼」と言って前を通る。そのような文化をもう一度取り戻していただきたいと思います。



ランディー

 これからの京都のことを考えたら、あまり心配は要らないと思います。京都は今まで生きてきているし、今からも生きていくと思います。よく私は、「日本人より日本人だ」と言われますが、アメリカでイチローさんのことを「アメリカ人よりもアメリカ人だ」とは言いません。皆さんは、日本文化を日本独特のものと考えてはいないでしょうか。日本の文化、京都の文化は、別に日本だけのもの、京都だけのものではなく、それは世界の宝物だと思います。



坂 井

 どうもありがとうございました。話の中に、それぞれ皆さん一人一人が関わっていくことが大切だという話があったと思います。今日は結論めいたことを述べる場ではないと思いますが、そういうことを是非心に留めていただいて、今日のパネルディスカッションを閉じたいと思います。

 今日はどうもありがとうございました。






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