京都創生推進フォーラム
京あるき in東京2017 京都創生連続講座in東京 講演録

開催日 平成29年2月24日(金)
会 場 大和ハウス東京ビル2階ホール


第1部 (13:00〜15:00) 京町家トーク「祇園祭と京町家」
第2部 (16:00〜18:00) 「古典の日」から考える〜雅の平安文化力〜

 講 演
 
@「古典の日」について
説明:山本 壯太氏(古典の日推進委員会ゼネラルプロデューサー、元NHK京都放送局長)

A今様合(いまようあわせ)実演
解説:濱崎 加奈子氏(公益財団法人有斐斎弘道館 代表理事)

B講演「京都における平安文化とこれからの文化創生」
講師:冷泉 貴実子氏(公益財団法人冷泉家時雨亭文庫 常務理事)




@「古典の日」について


山本 壯太氏
説明:山本 壯太氏 (古典の日推進委員会ゼネラルプロデューサー、元NHK京都放送局長)


 紫式部は、大著『源氏物語』が宮中で評判になった日を寛弘5(1008)年11月1日と『紫式部日記』で自らつづっています。その日から千年経過したことを記念し、2012年に同日を「古典の日」とすることが法律で定められました。この日に合わせ、フォーラムや朗読コンテストなどを実施し、一昨年から昨年にかけては「琳派400年」記念事業にも取り組みました。今後も多くのイベント等を通じ、文学・絵画だけでなく、伝統芸術や芸能について幅広く古典に親しみ、考えていく機会として広めていきたいと考えています。




A今様合(いまようあわせ)実演


濱崎  加奈子氏
解説:濱崎 加奈子氏 (公益財団法人有斐斎弘道館 代表理事)


 『紫式部日記』には「今様歌」についての記述もあります。平安時代の伝統芸能として一般的だったのは、神社中心に執り行われる神楽歌(かぐらうた)や宮廷歌謡としての催馬楽(さいばら)でしたが、一方で斬新な節回しなどを特徴とし、現在で言う歌謡曲のような「今様歌」が流行し始めていました。特に後白河法皇は大変なお気に入りようで、今様歌を広く集めて編集した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を残しています。

 今様歌を競うように合わせていくのが「今様合」で、判者もそろえて和歌の歌合わせの形式を取りつつ、交わされるのは和歌ではなく、七五調を中心に八六調等も交ぜた独特の歌謡でした。加えて、大声で歌う声技も重要な要素を占め、法皇は今様合に興じ過ぎて喉を痛めたとも伝えられております。

 ほぼ同時代、正式なうたげの後に管弦や歌舞が催される「穏の座」において披露されるようになってきたのが、今様歌を基にした華麗な舞である白拍子です。白拍子も今様合も現代に伝承されてはいますが、途中途絶えた時期もあって記録や手順などが一部失われており、今後は調査や研究活動も必要と思われます。

 本日は、東京という開催場所にちなみ、「京」と「都」をテーマに、今様白拍子研究所の方々に今様合と白拍子の実演をしていただきます。平安の宴のごく一端をご堪能なさってください。





B講演「京都における平安文化とこれからの文化創生」


名前
講師:冷泉 貴実子氏 (公益財団法人冷泉家時雨亭文庫 常務理事)


 今日の日付は2月24日ですが、旧暦では1月28日となっています。
現在の太陽暦は当たり前のように普及していますが、世界ではイスラム暦など独自の暦を採用する国も多数存在します。日本でも太陽暦は明治維新後の明治5年になって施行されたもので、月の満ち欠けに基づく暦である旧暦(太陰暦)を使っていた時代の方がずっと長かったのです。

 旧暦は太陽歴より遅れて進み、1月・2月・3月から春が始まり、3カ月ずつ夏・秋・冬と季節を区切って考えていました。これからお話しする日本人の生活文化は、旧暦での季節感覚を背景に形成されてきたことを前提にお考えください。

 1年の初め、春は二十四節気の立春の頃に始まります。昔の人々は暑さ寒さではなく、暗く長い冬の夜から抜け出しつつある気候変化に春の到来を感じました。今年でいうと立春は2月4日ですから、1日の長さが実感できる時季です。

 「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ」(光孝天皇『古今集』 『小倉百人一首』)
 春を代表する1首です。春の訪れは花というよりも緑が増えてくることで実感しました。春の七草は緑豊かな菜っ葉がそろっています。いまは「七草がゆ」としての印象が強くなりましたが、昔は冬の間のビタミン不足を補う春のごちそうでした。

 そして春といえばウメと相場が決まっています。春の歌をもう1首。
 「梅の花 にほひをうつす 袖の上に 軒もる月の 影ぞあらそふ」(藤原定家 『新古今集』以下同)
 春特有のおぼろ月の影とウメの香漂う情景がごく自然と浮かんでくるような歌です。サクラが開花し薄紅が周囲に満ちてくるとヤナギの若緑がよく映えるようになってきます。芸舞妓さんが一堂にそろって毎年春に開催される歌舞イベント「都をどり」のフィナーレには、サクラの花とヤナギが舞台の上からたっぷりと降ってくる華やかな場面があります。まだご覧になっていない方は、ぜひ一度お越しください。  やがて夏を迎え、初夏を彩るのはウノハナです。

 「卯の花の むらむら咲ける 垣根をば 雲間の月の 影かとぞ見る」(白川院 同)
 夏になって緑が色濃くなった垣根に群がる白いウノハナを歌っています。初夏はまだ風情があってよかったのですが、盛夏はいまと違ってあまり好まれない季節でした。冷房や冷蔵施設もない時代、しかも京都は高温多湿の土地柄とあって伝染病の心配もありました。病気よけに昔のショウブの根を和薬として軒下につるしました。運動会などで使うくす玉の起源ともいわれます。加えて1首。

 「うちしめり あやめぞかをる ほととぎす 鳴くや五月の 雨の夕暮れ」(藤原良経 同)
 アヤメはショウブのことで、雨でうっとうしい雰囲気が伝わってきます。その中で、ホトトギスの声がせめてもの風情を醸し出しています。

 夏の間の汚れに「夏越の祓」といわれるみそぎを施し、秋へ移ります。苦しい夏を過ぎてほっとする季節でした。7月7日の七夕は中国から伝わった風習で、日本に来て、織り姫と彦星が1年に1回出会うロマンチックな日となりました。太陽歴では梅雨も後半で残念ながら雨の日も多くなりますが、旧暦では安定してすっきりとした夏の夜空でした。

 秋が深まってくると虫の音が「すだいて」きます。「すだく」とはスズムシ、マツムシなどが集まって盛んに鳴く様子をいいます。春とは異なり、愛らしく華やかな花をつける秋の七草も登場します。秋の花や葉に玉のような露が乗るようになってくると、もう光源氏の世界です。

 「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康 『後撰集』 『小倉百人一首』)
 白露を真珠のネックレスのように貫けないまま、風が吹いて白露が散ってしまったと読んでいて、秋風が心地よい透明感のある情景を表現しています。光源氏だからということでもありませんが、秋は恋の季節の始まりであることも確かでしょう。

 大変有名な秋の歌があります。
 「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」(猿丸大夫 『古今集』 『小倉百人一首』)
 この歌を聞いただけで私たち日本人は誰でもその景色を想像し、何となくもの悲しい秋を感じ取るのではないでしょうか。

 1年の終わりに冬がやってきます。
 「今日はもし 君もや訪ふと 眺むれど まだ跡もなき 庭の雪かな」(藤原俊成 『新古今集』)
 恋しい人の足跡が雪に残っていないと、男性が女性に成り代わって歌っています。白く寂しい雪の風景が広がっている情感が込められた歌です。

 ここまでお話ししてきたように、春を象徴するウメとウグイス、夏のウノハナとホトトギス、秋のモミジとシカなどは、平安時代にかたちづくられた季節感を表す一つの型なのです。実際に見たことも、聞いたこともないけれども、ウメにウグイスという言葉を聞くだけで春を感じる感覚は極めて日本的といえるでしょう。「ウサギ追いし かの山」というふるさとの歌を聞くと多くの人が胸に迫る郷愁を感じるのも同様です。スズムシが鳴くという表現から、すぐに日本人が秋の夜長を思い浮かべることを外国人に理解してもらうのはとても困難です。

 京都はこの型を大事にしています。秋になって和菓子に「奥山」の文字を入れると価値が上がり、買ってくれる人も増える。実際の味は大きく変わったりしません。お茶の世界もそうですね。お初釜では、春にふさわしいウメの花を飾って心を新たにします。間違ってもチューリップやキクの花を生けたりはしないのです。

 明治維新を迎え、西洋文明を受け入れるようになると、他と違う感じ方や考え方が大事にされましたが、平安の世からの伝統的日本文化においては、皆が同じように感じることに重きが置かれました。

 型があって初めて美が生まれ、その美を知っていることが本物の教養とされます。さらに美は日本人独特の和の世界へとつながっています。長唄、能、歌舞伎、絵画、書画、お香など伝統文化や工芸が持っている和の精神全てに通じるものです。

 型は代わり映えせず陳腐といえば陳腐かもしれません。しかし、誰でも四季をそのように感じ、美しいものを見いだすことを大きな喜びとする感性を磨いてきたのが私たち日本人であると言えるでしょう。




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