講演:「ブラウン管の裏から見た京都」
山 本

 皆さんこんにちは。お寒うございます。今日は、先ほど、ごあいさついただきました梶田貫主様、それから主催の皆さんのおかげでこのような素晴らしい舞台揃えといいますか、設定のところでお話させていただくというのは本当に光栄です。先ほど阿弥陀様の前で15分ぐらいですが座っておりまして、梶田さんのお話を伺っていると、今日の話はすべてあの雰囲気の光と影と、あのお香の匂い、それで尽きたんじゃないかと思いました。それでここに座りまして改めて見ますと右側に京都市街が見えている、あらゆる意味で、この一点で梶田さんがおっしゃったように鹿ケ谷のここで、京都の良さがすべて表現しつくされているという気が致します。ですが京都はここだけじゃありませんで、そういう場所が他にも山のようにある。先ほど梶田さんのお話で、今日の僕の結論はすでに、これは不思議なんですけどね、もう梶田さんがおっしゃってしまいました。

 それはまた改めてお話するとして、今日は何から話を始めようかなと思っていたのですが、実はこれも先ほどの話で梶田さんが「法然院もテレビで見たほうが良かったわ、きれいやったわ」という話があったので、実はそうじゃないということからお話をさせていただきたいと思います。

 そうじゃない、というのはつまりこういうことです。テレビっていうのは昭和28年に日本で放送が始まって、ちょうどもう半世紀を経てるわけですが、50年。ラジオは大正14年ですからもう80年ということですけれども、実はそのテレビが果たしてきた役割っていうのは非常にやっぱり大きいのですが、実はそのマイナス面もいっぱい持っているんです。マイナス面って一体何かっていうと、テレビっていうのはやっぱり基本的にテクノロジーっていいますか、技術が非常に大きな要素であって、技術の進歩とともに発展してきたっていう側面を持っているんですけれども、実は克服できない弱点があります。物理的なと言って良いんですが、それは単純なことで、実は、テレビっていうのは絵と音しかないんです。つまり人間の五感といいますか、人間は5つの感覚を持ってます。あるいは梶田さんが最後におっしゃったのは、おそらく第六感と言っても良いと思うんですね。つまりこの寺の350年のそこここに染み付いている人びと、生きざまとか、それからまあいろんなことがあったでしょう、そういうものが感じられるわけですよね。で、テレビっていうのは視覚と聴覚しか使っていない。目と耳だけです。人間の感覚の中で、やっぱり視覚と聴覚というのが一番大きな役割を果たしていることは、これは事実です。しかしながら、他に人間というのは豊かな第六感まで持ってるわけで、テレビの画面っていうのは絶対その二つ以外は表現できないわけなんですよ。ですからあの本堂の中で感じたお香の匂いであるとか、あるいはお隣の方のそこはかとない感覚であるとか、あるいは、お話なさっている梶田貫主の息遣いとか、そういうものはもうテレビの世界では表現できないわけです。ですから当然のことながら、その第六感でもっともっと人間として感じるような部分っていうのは、テレビの画面、これはいくらハイビジョンになっても同じですよ。きれいになって音も良くなりますけれども、後の4つの感覚っていうのはないわけですから、やっぱり弱いですよね。

 ですからテレビが発達して、ここが有名になってたくさんの人がいらっしゃるわけですが、やっぱりここの空気、外の冷たさ、ひんやりとした京都の空気とか、あるいは美しく差し込んでくる光とか、そういうものはその場でなければ感じ取れないものですから、それはとっても大事なんですね。ですから、一言に言うと、近代っていうのはあらゆる人間の感覚の中で視覚と聴覚を偏重しすぎている、大事にしすぎてきた文化だと言えると思います。というのが、僕がテレビ30年間やってきて感じていることです。つまりテレビの限界をね、30年かけて僕は知ってきたんじゃないかと。最初はNHKに入ったころはテレビっていうのは素晴らしいものだと思っていましたよ。でもやっぱり30年やってきてね、やっぱりこう限界を感じる。

 もう少し話しますとNHKもそういう放送っていうか電波で情報出すことの限界っていうのは知っているんですね。NHKは皆さん視聴者の方と接する時に何をやってきたかっていうと、ひとつは美術展とか、いろんな展覧会をやる。ですから『日曜美術館』でいろんなこうディテールをテレビで見せて説明すると同時に、やっぱり本物をですね、世界中あるいは日本の有名なお寺さんのものとか、本物を持ってきて、見ていただくということをやってきたんですね。それからもう一つは公開録音、あるいは公開録画っていいますか、例えば『のど自慢』とか、もっと小さい番組もいっぱいあります。そういうものをやっぱり文化人とかあるいは芸能人の方に具体的に来ていただいて画面だけではない、あるいはラジオだけではない、漫才師が舞台の上で2〜300人のこういう囲われた空間で一緒にっていうのはやっぱり違うわけで、そういう公開番組というものを同時に一所懸命やってきたんですよね。

 中でも僕は優れた企画だったなと思うのは、恐竜博です。これは恐竜に触れるようにしたんです。触るっていうことはテレビでは絶対できません。それを博覧会でやってみるということ。今、僕が話しているような思想を持ってNHKがやってきたのかどうかは分かりませんが、たぶん直感的に、伝統的に知っていて、NHKもひとつの車の両輪じゃないですが、視覚と聴覚のテレビと、それから実際に実物を見ることのできる展覧会、美術展というものをやってきたんじゃないかなと思います。今日、梶田さんのお話を聞き、これはぜひ最初にお話しとかないと、と思いました。結論としては、テレビの画面は美しかったけども、ここに来なきゃ分からないことは山ほどあるということが、先ほどの梶田さんのお話に対する僕のお答えであります。

 ところで、もう12月も半ば過ぎまして年の瀬ですが、今年も京都にまつわるニュースが色々ありました。僕は今年のいろんなニュースで前向きに見て、とってもいいなと思ったのは、賛否両論ありましたけれど、やっぱり京都迎賓館かなって思っているんですよ。色んな議論ありましたね、あそこに作ることについては。それを最初に大々的に使ったのはこの間のブッシュさんの来日だった。交通規制すごくて大変迷惑したですけれども、実はブッシュ大統領には500人ぐらいのアメリカのマスコミとか、随行の人とかがついて来て、京都に泊まりきれなくて、大阪にまで泊まっていた。そういう人達から迎賓館の評判がいいんですって。日本国内だけでも日本のマスコミが報道した金閣寺の前の写真、映像なんかやっぱりすごいですね。あの金色に輝いている所であれほど個性の強い小泉さんと、ブッシュさんと並んで有馬頼底さんが衣を着て、後ろに金閣がある。こんなのめったにないですよね、世の中に。ですから各国の、特にアメリカの報道陣も、少なくとも京都についてはものすごくいい報道をしたそうです。今、御存知のように大阪と神戸と京都で2008年サミットを取合いして、どこでやんねん、ってやっているんです。僕はやっぱり京都が有利になっていると思うんですよ。これだけ主要国のアメリカで評判上げてるわけですから、もう、大阪と神戸にかなり大差を付けてるんじゃないかなと思うんですね。それと同時に僕は改めて「これは京都や」と思ったのは、紫式部が『源氏物語』を書いて2008年が千年になるんだそうですよ。よく言うミレニアムっていうんですか、千年紀だそうです。恐らく御存知だと思うんですが、『源氏物語』っていうのはこんな長編小説、平安の初期、それこそ千年前に、こんなものは世界に全く無い。シェイクスピアより古いんですから。そういう非常に優れた文化遺産みたいなものが、ちょうど2008年に千年を迎える、これもやっぱり京都ですよね。それから今朝の新聞ですか、滋賀県知事と京都府知事が年に1回、協力関係についてお話をなさる。その中に源氏物語の千年紀を文化活動として一緒にやりましょうと。それは滋賀県の石山寺で書かれたからでしょうか。こういうのが重なって、世界的なサミットを京都で開く。僕は、余談ですが、文化首都って言い方あまり好きでないんですが、世界に向かって京都を知ってもらうってことは、アンチ東京やなんやらって話でなくって、もっと次元の違う国際的な大事なことって僕は思っていますんで、このサミットと源氏物語書かれてちょうどその1千年という文化的なことを重ね合わせて2008年を迎えるようにするというふうに考えると、とっても京都らしいっていうか、胸がわくわくするっていうか、今年もあまりいい年じゃなかったような気がするけども、希望が出てくるような気がします。京都人のエゴイズムとしてもね。そういう、一つの連続線上で京都の文化を見ていくといいんじゃないかなと思いました。

 一方で、今日のテーマ、テレビっていうことがありますんで、テレビ界って言いますか、今年はすごいことがありましたね。皆さん御存知のアイドルみたいになっちゃったホリエモン。ホリエモンがフジテレビに買収を仕掛けましたよね。それからつい最近はまた楽天の三木谷さん。これが今度はTBSを買いに走ったということなんですね。これは、NHKの公共放送としての屋台骨がやや傾いでいるっていうことも、非常に大きな今年の放送界の動きなんです。連続して起こった楽天、ライブドアの動きっていうのは、とってもやっぱり面白い、マスコミの将来を考える上で大変大きなことだと思うんですよ。と言うのは、話しましたように、ほぼ半世紀、テレビ放送はやってるわけですから、TBSにしろフジテレビにしろ言ってみればメディアの老舗です。ドラマのTBSと言われたり、フジテレビは連続で視聴率トップだったり、非常に社会的影響も大きいし、いわば既成の言論界の権威みたいなところです。当然のことながら世の中は面白いですから、からかったりはするけれどもやっぱり保守的にTBSとかフジテレビをガードするんですよね。で、まあ結果としては双方とも上手くいかなかった、実はこれ一体何をやろうとしてこんなことになっているのか、分かりますよね。理由は一つなんですよ。

 つまり、ニューメディアとか、メディアが色々展開し発展していますけれども、発展してるのは実は技術、テクノロジーです。ですから今、皆さんインターネット、パソコンで全部情報取ったりしてますけれども、あれはテレビとの根本的な違いって何かっていうと、実は情報を送るルートっていうか道の問題だけなんです。要するに放送っていうのは字のとおり電波に乗せて情報をどっと放り出すメディアです。ですから中国語では広播って言うんですね。中国語でラジオのこと広播っていう。テレビのことは電視っていう。つまり放送っていうのは非常に多数の聴衆に向かって情報を電波で一方通行で送り出す。英語はBroadcastって言いますね。やっぱり広くばら撒くという意味です。インターネットはどこが違うかって言うと、あれは情報を送るルートがラインなんです。光ファイバーみたいなことで、要するに有線です。有線で情報を送る。有線の部分の性能がどんどん上がってきてますから、最初は電話みたいに音声だけだったのが、今やテレビと同じ映像を送ることができる。ブロードバンドっていう言い方をしますけれども、だからテレビを空中波で送るのと同じようにケーブルでも高画質の映像を送ることができるようになってきた。

 ライブドアとか楽天は何をやってるかっていうと、その伝送経路で商品宣伝をしたり、またあるいは情報をお互いに端末で取り合うみたいなことやっているんです。それから、それを使って商取引をやる。彼らにとってTBSとかフジを乗っ取りたかったのは何を欲しかったのかというと優れた中身です。つまりドラマやニュースや色々。それをネットで送り出す。彼らが欲しがるのは送り出す中身です。だから実はあの戦争っていうのは、テレビ局が持っている文字通り中身、ソフトって言われてたり番組っていう別の言葉で言われますね、そういうものがライブドアとか楽天は欲しかったんです。あれを作るのはものすごくお金がかかるんです。もっと言えば作るためのノウハウです。それの蓄積が無い。放送局はそれを50年間蓄積していますから。そういうものが彼らはとっても欲しかった。それが今回の戦争の中身で、結局上手くいかなかった理由のひとつは実は、著作権って御存知ですか?割とこの概念は知られてないですけれども。これは例えば梶田先生が本を書かれると、その本には梶田さんの著作権が生じてくるわけですよね。許可も取らなきゃいけないし、お金も払わなければいけない。テレビのソフト、テレビの番組ですよね、これもやっぱり著作権が一つ一つあるんです。それがまたものすごく複雑です。例えばテレビドラマ。テレビドラマなんていうのは一体それじゃあ何種類ぐらいの著作権者が関わってるかっていうと膨大なものなんです。例えば大河ドラマ。

<つづく>

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