意見交換
司 会

 ありがとうございました。せっかくの機会でございますのでぜひ皆様方から御意見御質問等お受けしたいと思います。先ほどもお話がありましたように、京都放送局長っていうNHKの中でも大事な放送局でございます。その局長であり、かつて京都放送局をやめられる時に、ある経済人の方とかが、何とか京都にずっと残ってほしいと、何か京都でそういうものを作って、そこに山本さんにおってほしいというほど非常に京都にとってお世話になった方でございます。また京都のことをよく御存知の方でございますので、ぜひ皆さん方からいろんな御意見をお伺いしたいと思います。

参加者

 もてなしの心というのがあるということですが、私ももちろんそれは正しいと思うんですが、片や京都ほどもてなしが悪く、店に行っても、もてなしとは程遠くて腹を立てるというか色々疑問がある店が非常に多いように最近感じます。またお店のほうも「一回来てもらったらそれでいいんだ」というような姿勢も見受けられます。また、最近はそういうことあんまりないですが、古いお店行きますと「何お分けしましょうか」ということがある。「何分けてあげようか」いうことなんですね。「いらっしゃいませ何をお買い頂けますか」という姿勢とはちょっと違うような気がするんです。そういう京都の顧客に対する姿勢というのはやっぱり私も感じますし、特に東京から友人が来ますと、表立っては言わないまでもぼそっと言う店が結構あるように思います。これから京都創生ということを考えますとやはりその部分は京都の中でも改めていかないといけないと思うんですが、山本さんはその辺をこれからどうしていったらいいとお考えでしょうか、その辺をお聞きしたいなあと思います。

山 本

 今の御意見はどうでしょうか、皆さんもそう感じられるところありますか?

参加者

 感じますね。京都生まれではありませんけれど、京都に50年ほどお世話になって今も京都市民ですが、今おっしゃったようなことは早くから感じていますし、それともう一つ、さっき先生がおっしゃったように、例えば料理屋に行った時に、おかみさんなりが姿が見えなくなるまで最後まで頭下げて送ってくれる、という料理屋さんと、それをやらない料理屋さんと私体験したんですけれども、当初は続けておられるお店のほうがうんと格が下で片っ方のほうが格がうんと上やった。いつしかそれが反対になってしもたんですね。で、やっぱりそれをずっと続けておられる料理屋さんが今日配布されたパンフレットの中にでもきちっと載ってます。途中からそういうことをしない、あるいは差別をされた料理屋さんはやっぱり前を通ってみても寂しい思いをします。もとは一流やった、超一流やった。そういうことは長い時間の中に、今おっしゃったものも含めて京都の人が持ち続けないことには旅行者にとって心に受けるものがある、と私は思います。

山 本

 どうでしょうか、他に今のことで、むしろ僕はどっちかっていうと答えよりも皆さんどういうふうに?確かにそういう側面ありますよね。どなたか発言ございますか?はい、どうぞ。

参加者

 今のお話と関係が出てくると思いますけれども、先ほどのお話の中で、テレビの命は内容、コンテンツだというお話がございましたが、最近の京都の町家とかホテルとかを見ていますと、うわものはまあ、京都創生とも関係があるかもしれませんが、いかにも京都らしさを強調する。ただ中身は東京とか名古屋の資本が入ってきて、それに見合ったような商売をしている。祇園の白川沿いなんか歩いていますと、外見は京都らしいんですが、中に入ると東京の居酒屋と同じような雰囲気のところ、あるいは形としては町家風だけれども、出てくるものとか応対はもう東京と変わらないというところがあるんで、場合によってはそういう流れの中でもてなしの心も別のところで進んでるんじゃないかなというような気がします。

山 本

 おっしゃる意味で、むしろ建物とか外側は町家のそのまま使って、いわゆるハードはそのまま古いもの使ってるようなのに、むしろソフトのほうがどんどん。

参加者

 だからその辺がやはりコンテンツが命だということを、何か京都では逆行してるみたいな、そういう雰囲気をちょっと感じるところがございます。

山 本

 どうでしょうか。はい。

参加者

 すみません、先ほどもてなしの心とおっしゃいましたけれども、今日この法然院さんへ石段あがってきて中を拝見して、今のお話とつながることは、やっぱり入って来た時に、今は落葉の時期です。ほっといたらものすごく落ち葉が落ちてね、お参りされた方、また本日の我々含めてね、「あ、きたないなあ」と思うのが人間やと思います。ところがずっと清掃されて美しくされて、お参りされる方、また今日我々に対してですね、やっぱりもてなしの心で動作を起こして掃除された。これは言葉やなくして、もてなしだと思うんですね。こういう部分のもてなしがやっぱりこれから京都市民の皆さんを含めて町中で一つ一つ考えていかなくてはいけないことやないかなと思うんです。

山 本

 一つだけ、先ほどのお話と今のお話を伺ってて、目と耳と言いましたよね。視覚と聴覚。僕は手がものすごく大事だと思ってるんです。お手伝いって言葉ありますよね、あれは手で伝えるって書くんですよね。僕はあれものすごく意味深い好きな言葉で、お手伝いする、手でね、手の感触っていうのは赤ちゃんの時の一番最初の感触でもあるわけですけれども、お手伝いしていくっていうのは何かっていうと伝えていくっていうことですから親から子へ孫へいうふうに伝えていくっていう、僕はこれ教育の根幹だと思ってるんですよ。お手伝いするっていうのは。つまり京都に即して言うと、先ほどの話とつながるかどうかわかりませんけれども、京都の非常に大きな側面で伝統工芸、伝統技術がございますね、職人さんの世界です。あれなんかは典型的に手の世界だと僕は思ってるんですが、ああいうものがきっちり根付いているってことは手の世界がこの京都には息づいていると思うんですね。ですから子供の教育の一環として僕はそういうものを生かせて、それこそ手伝うことでいろんな意味で繋いでいくって言いますか。例えばここで僕は最初に雑巾がけっていう言葉を使いましたが、おそらくこの法然院さんも誰かお手伝いの方がいて、それこそ雑巾かけてですね、庭を掃いていく。それは何も保守的なことだとか古めかしいことだとか全然思わないですね。足元から生まれてくるものが人間の本来の感性の非常に大事な部分だと。教科書で字を読んで先生のレクチャー聞くだけが教育じゃ絶対ないと思います。そういう意味で今のお店の方たちが主人なり亭主なり、その店で働いている人たちの間でどういうふうなそれこそお手伝い関係みたいなものができているのか、興味があることだし、京都ならではじゃないかと。確かに全体としてはそれが壊れている、京都も非常に厳しい状態にあると思います。必ずしも安泰って感じじゃないですよね。危機的な側面にあるからおそらくこういう京都創生っていうシンポジウムが開かれたり、あるいは先週僕は梶田さんと一緒に参加したんですが、ある会議の検討課題が、「豊かさの再検討」っていうテーマだったんですよね。そういうことも含めて、ある種の問題意識の持ち方も含めてそういうことを今考えることは意味があると思います。

参加者

 褒めるだけじゃなくて、こんな悪いところがあるというのでむしろ逆に問題が浮き上がってくると、そういうのはどうですか。

山 本

 京都はね、僕はどっちかっていうとそういうの好きなんですけれども、先ほども話したんですけど、パープルサンガ優勝したでしょ。で、J2からJ1に上がるんだけど、全然熱狂しないんですよね。ものすごくクールですよね。クールというのか何というのかポーズですかね、これはね。1200年の歴史の中で築き上げてきた僕はやっぱりライフスタイルだろうと、それこそ文化のひとつだと思ってますよ。大阪人はね、ドボンと道頓堀に飛び込むんだけど。全然盛り上がらない。だから今話に聞くとサッカー場を作ろうという話があるそうですけれどもこれもなかなか盛り上がらないようで。でもこれは僕はね、盛り上がらないっていうこと自体も含めて、これはひとつの京の文化だと思ってます。だって動乱の1200年生き抜いてきたんですもの。

参加者

 格子戸の向こうからパープルサンガ見てる。

山 本

 格子戸の。そう。1200年ね、これだけの戦禍をくぐり抜けてきた土地柄だし人柄、人も含めてね、そういうものはものすごくやっぱり慎重だと思いますよ。だから京都で物事をどっと走らすっていうのは大変なことではありますね。

<つづく>

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