京都創生推進フォーラム
シンポジウム「京都創生推進フォーラム」
日 時 平成20年7月23日(水)
会 場 京都産業会館シルクホール(8F)



14:00 琴演奏「風のように」  横山 佳世子

14:10 主催構成10団体紹介
  挨拶 立石 義雄(京都創生推進フォーラム代表)
    門川 大作(京都市長)

14:30 講演: 「京都創生−美的生活のなかに−」
  講師 笹岡 隆甫(華道未生流笹岡次期家元)

15:30 パネルディスカッション
  パネリスト 井上 成哉(明倫まちづくり委員会委員長)
    近藤 高弘(陶芸家・美術家) 
    鳥羽 重宏(城南宮宮司) 
 

コーディネーター

吉澤 健吉 (京都新聞社報道局次長)




代表あいさつ

 京都創生推進フォーラム代表 立石 義雄

 フォーラム代表の立石でございます。祇園祭のにぎわいが伝わってまいりますが、そういう中で皆様方大変お忙しい中、多数のご参加をいただきまして誠にありがとうございます。心より厚く御礼申し上げます。

 さて、私は高い文化と学術を有する創造的都市、イノベーティブ都市と表現しておりますが、その時代の産業に革新を起こす、これが私の持論でございます。京都はまさにそのような都市であると思っております。

 京都が日本のみならず、世界から様々な多くの人を引き付け輝いておりますのは、1200年の間に守るべき物は守りつつ、常に新たな生活文化を創造する提案力が、この京都の都市にあるのではないかと思っております。

 そこには昔からの人々の生きる知恵、生き方の知恵、あるいは早くからの産学公連携による知恵のインフラを基盤にして、京都の持つ、いわゆる科学と技術、あるいは匠の技、あるいはデザイン、そういった物の特性がさまざまな形で融合し合う、それによって商品、あるいはサービス、さらにはビジネスモデルというものが開発されて、新たな価値を創造していくという強みが京都にはあるのではないかと思っております。

 現在の我々が生活する社会に目を向けてみますと、ご承知のとおり、価値観が多様化する成熟社会、地域主権型の分権社会、あるいは環境と経済の両立を実現する持続可能社会、また、いわゆるグローバル社会、そういった新たな社会への移行が顕在化しつつございます。

 このような社会の変化に対しまして、先ほども述べましたが、京都の特性が様々な形で融合する強みを生かして、新たなこれからの生き方、暮らし方、また、町の在り方に関わる社会ニーズに応えていく。例えば、環境の保全、資源・エネルギーの節約・代替、また、安心・安全の確保、そして、健康の維持・増進などの社会ニーズを満たすための知恵、すなわち創意工夫、独創力を加えて、これからの社会に対して新たな価値を創造していくことが必要になってまいります。

 そのためには、これまでの工業社会における物の豊かさの修正、また、便利さの修正といった、これからの生き方、暮らし方、また、町の在り方に関する新しい価値観を生み出していくことが、それに挑戦していくことが大変重要になってくるものと考えております。

 そういう観点で申し上げますと、京都市が次の50年、100年を見据えた景観施策の決断をされたことは、京都らしい美しい景観を守るということもさることながら、先ほど申し上げました、これからの成熟社会、あるいは分権社会、持続可能社会といった、新たな社会構造の変化を想定して、新たな生活文化を創造するために、行政が市民の皆さんと一体となって提案されたものと受け止めております。まさしく変革に向けて全員挑戦を呼び掛けられたものでもあるのではないかと考えております。

 これからの門川市長さんの力強い施策の推進に大いに期待するとともに、経済界としても、この大英断にしっかりと呼応していくことが京都創生の道筋であり、地域活力の源泉である中小企業の振興にとっても大変不可欠であると考えております。

 京都商工会議所といたしましても、地元の中小企業を中心に、この知恵で社会に新たな価値を創造していくビジネスを育てようと、知恵産業の町、京都の推進をビジョンに掲げ、取組を始めたところでございます。

 京都で暮らし、働く私たち一人一人が、これからの京都のために何ができるのか、何を提案していくのか、今まさにその知恵が求められております。皆さん、お一人お一人の知恵と取組が京都創生の実現に向けての力強い歩みとなることを確信致しており、本日のシンポジウムから少しでもそのヒントを感じ取っていただければ幸いでございます。

 結びにあたりまして、本日心よく講師、パネリストをお引受けいただきました先生方に厚く御礼申し上げますとともに、御参会の皆さん方の御健勝を御祈念申し上げまして、開会の御挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。




市長あいさつ


 京都市長 門川 大作

 皆さん、こんにちは。京都市長の門川大作でございます。

 「日本に京都があってよかった、世界に京都があってよかった。」 京都は、全国はもとより、世界の人々からそう感じ続けていただける都市でなければなりません。1200年の歴史を有する京都は、それだけの責任を有しているのです。そういうことで京都創生推進フォーラムを立ち上げていただき、この暑い中に、これだけの方がお集りいただきまして本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。

 また、代表をお務めいただいております立石会頭の、先ほどのお話を聞かせていただきまして感銘を受けました。建物の高さを規制する等、なかなか経済活動と融合していくのは難しい話であります。東京ではこれだけの話はしていただけません。そんな中で、やはり京都は経済界も、大学も、マスコミも、あらゆる市民の方々も、皆さんで京都の歴史と伝統、京都の知恵を生かしながら新たに創造していこう、そんな取組を進めていただいています。本当にありがとうございます。

 明日は祇園祭の還幸祭であります。祇園祭の起源は色々伝えられておりますが、1100年前に、当時日本にあった66の国の平安を祈って、66基の鉾を立てて巡行したことが始まりであるとも言われています。

 そういう意味で、京都の町衆は、常に京都だけではなく日本全国のことを考えており、今は世界のことを考えていく使命があるのではないでしょうか。

 また、祇園祭は、多くの方々が苦しまれ亡くなられた疫病の撲滅のための祈りとして始められたとも伝えられております。今、疫病ははやっておりませんが、様々な病がございます。新型インフルエンザの問題、若者に広まっているエイズの問題、更には生物学的な病気だけではなく、環境破壊や自己中心的な生き方など社会全体に様々な病理現象というものがございます。

 世界の平和を祈り、同時にそういう社会病理現象も克服する必要がある、そのために立ち上がるのは京都市民であり、現代における祇園祭の意義ではないかとも感じております。

 そして京都の町衆は、困難な中にこそ常に好機を見つけ、ピンチをチャンスにして、見事に1200年を超える歴史を積み重ねて来られました。その知恵に学びたいと、私は改めて感じています。

 先日、国が環境モデル都市、10都市を指定するということで、多くの方々のお知恵をいただきながら、京都も名乗りを上げました。結果が、昨日発表になりまして、6都市が環境モデル都市に指定され、京都は7番目で、環境モデル都市候補となっておりました。

 これは「頑張れ」ということだととらえて、モデル都市指定に向け、今後とも皆さんと一緒に、京都のまちの、町衆の知恵を生かした、京都ならではの取組をしていきたいと考えています。例えば、木の文化、森の文化を活かした取組。あるいは「歩くまち・京都」の自動車から公共交通に転換を図る取組。歩くことは健康にもつながります。また、イノベーション、すなわち、科学技術をもっともっと進歩させて、CO2排出を削減していこうという取組。更には、「もったいない」の精神や「始末」の心により、生き方、ライフスタイルを変えていく取組です。

 会頭の話にもございましたが、便利さばかりを追求していくのではないのです。例えば、コンビニエンスストアが住宅街でも24時間営業されているのはどうか、営業の自粛ということも考え、一度市民ぐるみで検討していただいたらどうでしょう。

 東京では、「夜、コンビニを閉めてCO2がどれだけ削減できるか計算したか」とか、「夜の電気の多くは原子力であり、CO2を増加させることなく電気は供給される」というような議論もありました。しかし、深夜まで子どもがうろうろするような夜型人間の生活を昼型人間に変えたらいいのではないでしょうか。

 夜8時、9時、10時までは、コンサートや歌舞伎などの文化を楽しむのもよいことですが、公共交通の動いている間に家路に着いて、早寝、早起きをし、朝ごはんをしっかり食べる。そして子どもをしっかりと育むことも大事ではないでしょうか。こんなことを市民ぐるみで議論していきたいと考えております。

 行政主導でやるのは決してよくない。市民の知恵を生かしながら、地球のために、環境のために、そして地域社会のために、次世代を健全に育てていくために考える。その答えは、京都の歴史と、文化と、町衆の知恵の中にあるのではないかと思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いします。ありがとうございます。




講演:「京都創生〜美的生活のなかに〜」



 華道未生流笹岡次期家元 笹岡隆甫 氏

○背筋を伸ばす

 笹岡でございます。今年も祇園祭の山鉾巡行が終わりました。祇園祭には、私も長刀鉾の囃子方として参加させていただいておりました。私は小学校5年生のときにお稚児さんに選ばれ、その翌年から囃子方としてお稽古に励んでおります。

 そんなわけで、毎年、長刀鉾の上から、自分の五年生のときを思い出しながら、お稚児さんを見ております。お稚児さんは、神様の使いですから地面に足をついてはいけません。そこで、強力さんがお稚児さんを肩に担ぐのですが、これが怖いんです。足は宙ぶらりんのうえ、片手は扇子を持っています。しかも、はしごの上では、強力さんが観客にお稚児さんを披露するように振り返りますので、身体は縮み上がります。そんなとき、稚児係さんが「背筋伸ばして、しっかりせんか」という意味で、お稚児さんの背中をパシッと・・・。

 背筋を伸ばすということは、いけばなの世界でも非常に大切です。私は3歳から遊びとして、いけばなを始めましたが、当時の家元である祖父によくいわれたのは「うつむいたらあかん」でした。

 小学校に入った頃に、初めて花を美しくみせるテクニックを教えてもらいました。それが「うつむいたらあかん」ということでした。そのとおりで、背筋をしゃんと伸ばした花は元気に見えます。このことは人も同じで、お稚児さんも背筋を伸ばしていると立派に見えます。そして、人の生き方も背筋を伸ばせば良くなります。悲しいことや落ち込むことがあって、うつむいていたら、何も変わりません。悲しさをバネにして前を向いて成長していきたいと願う、その気持ちが大事だと思います。いけばなのテクニックは、人がどうすれば美しく生きることができるのかのヒントを与えてくれます。

 花をいけるときは、単に美しくいけるだけではダメ。いけばなの伝書には、「花の美しさを際立たせることだけに執心してはならない。」われわれが花を生けることは、単なるアートではありません。

 われわれは、花からいろんなことを学びます。生き方、花の顔を上に向けるみたいに、上を向いて生きましょう。そういったことを日々学んでいます。

 いけばなは、京都とのむすびつきが強い。今日は、京都創生推進フォーラムという場をお借りしまして、いけばなから見た京都という町についてお話させていただきたいと思います。




○リノベーション 〜古きよいものの上に新しい価値〜

 京都文化博物館、私はこの建物が好きなんですが、元は日本銀行の京都支店として立てられた建物です。このレンガ造りの洋風の建物は、町家がたくさんある三条通につくられました。しかし、それが年を経て、自然に町に馴染んできます。このように京都には新しいものをうまく調和させる力があるように思います。この建物が、日本銀行として役目を終えますと、取り壊すのではなく、博物館として利用しています。建築の世界ではリノベーション、刷新とか革新とでもいうのでしょうか。リノベーションの良いところは、古いものの良いところを残しながら、そこに新しい価値を見出すということです。まさに「伝統と創生」です。

 京都には、町家のカフェやレストランなどこういった建物がたくさん見受けられます。難しいのは「線引き」。どこまでを残し、どこを今の時代に合うように変えていくのか、伝統と創生のバランスを上手にとりながら京都という町は進化していると思います。




○出会いから生まれるリノベーション

 いけばなも、古いものの上に新しいものを積み上げている、そんな世界です。現代の作品では、鏡やアクリルのワイヤーといった現代の素材を使用しながらも、顔を上に向けることや、基本形の三角形など昔から日本人が大切にしてきた美の法則がちゃんと根底にあります。

 ちょっと話が飛びますが、京都は三方を山に囲まれていて、そんななかで多くの人がひしめきあって暮らしています。私は文化というものは、人と人が出会うとき、ぶつかるときに生まれると考えています。ですので、人がひしめきあって暮らしている京都は、文化が生まれる出会いが起こりやすいところといえます。私もいろんな人と出会い、いろんな友人がいます。

 いけばなは極端にいうと、先人の教えてくれる美の法則さえ知っていれば、誰がいけても美しくいけられます。ですから、新たな出会いがないと、古典ばかりに閉じこもりがちになってしまいます。その点、京都は出会いをくれ、新しいものに取り掛かるきっかけをくれます。京都という町は、そういう出会いをくれるという町であるように思います。出会いによってうまれた新しい試みの事例をいくつかご紹介します。

 ここに漆の器に生けた花の作品があります。漆と花。この作品では、友人の漆の作家さんが、菓子器をつくりました。お菓子が載るのですが、友人がここに花をいけてみてよといいます。花器ではないので、水を入れることは想定していません。そこで、表面張力を利用して、水を2mmほど張りましたが、当然、剣山は使えません。そこで考えたあげく、クレマチス(鉄仙)の蔓を使いまして、器の手付の部分に巻付け、花も首を短くして添えました。これが意外と、非常に面白い作品になりました。(写真)

 次の事例。舞台で花をいけることもあります。もともとは、海外の方にいけている過程を見てもらうということを意図して始めました。舞台ですので、大きい作品をいけます。このように舞台で花をいけることは、私のライフワークとなりました。

 ある舞台では、狂言とのコラボレーションを行いました。私が花をいけ上げた舞台で、狂言を舞うという試みです。狂言や能は、造り物の花を使うのが常ですが、本物の花を使うことによって演じている方も雰囲気が違うといいます。これもまた新たな出会いです。ちなみに、私の弟は小学校の授業で狂言を見て、茂山さんのところへ入門しています。

 つい先日、下京中学校で話をさせていただきました。浴衣の授業があって、浴衣で一日過ごしましょうということで、地域の皆さんで着付けもし、浴衣も不足分は呉服業者さんが寄贈されたとのことでした。小さい頃からいろんな試みができる、これが京都です。

 次は、フルートと能といけばなのコラボレーションです。最初は、能という和の音階といけばなのコラボレーションでしたが、しばらくすると、能からフルートに代わり、洋の音階のなかで花をいけました。そうすると、花の見え方が変わってくるのを感じました。これは、花を目だけで見ているのではなくて五感で見ているからなのでしょう。




○いけばなから学ぶ生き方のヒント

 さきほど京都の町の特徴として山の存在を挙げました。山には、町を囲う役割がありますが、もう一つ、山に登れば、街を上から眺めることができます。京都の町中には、双ケ丘、船岡山、吉田山など小さな山があり、登れば十分に京都の町を見渡すことができます。自分のことを客観的に俯瞰すると、自分自身がとてもちっぽけに感じられます。自分の身の回りのことでせいいっぱいになっている自分を客観視して、ゆったり構えようと教わるのです。

 私は、日々、花をいけるという仕事をしています。いけばなの心得、ひとつは、先ほど言いましたが「目の前にある花を美しく見せることだけに執心してはいけない」ということ、そして、さらに、「花の生い立ちに思いを馳せよ」ということです。花の生い立ち、この目の前の花はどこから来たのか、太陽がなかったら光合成もできない、大地がなかったら水や養分をとれない、美しい花として存在できない、つまり、花は、天地のエネルギーが凝縮したものといえます。この心得は、花をいける私たちに、花を通じて、この世の中の事を考えなさいと教えています。今でいうと、環境問題がそれにあたるのではないでしょうか。私たちが日々生活する中で、無駄にしているものって結構ありますよね。よくいわれていますが、レジ袋を使わない、水道の水を無駄に流さないなど、そういう小さなことを積み重ねることは、花をいけることに通じるのではないかと思います。それぞれの行為が世の中に与える影響はしれています。でも、小さなことを積み重ねていくこと、これが大事です。ひとりひとりが意識する、それがまとまり、声に出す。そうすれば、その思いがどんどん広がっていき、やがては大きな動きにつながると思います。たとえば、京都でも、食用油でバスが走っていますし、生ゴミをエネルギーに代えようとする挑戦もなされています。しかし、この世の中が、このまま経済優先で進んで行ったら変わらないですね。それを代えるのは優遇税制であったり、環境に優しいものに対する補助金であったりとかですが、それを決めるのはやっぱり私たちの声の積み重ねなんです。私たち一人ひとりが小さな努力をし、自分たち自身も実践して、それが広がっていくからこそ、世の中を変えられるんじゃないかなと、そんなことを花を見つめながら考えています。

 私は、いけばなという文化を残していくことが仕事です。やはり、今、日本文化に携わる人が減少しているといわれています。しかし、いけばなには、すごくたくさんのエッセンスが、京都の、そして日本のエッセンスがつまっています。次代を担う子供たち、その一人ひとりに日本の文化を知ってほしい。日本人は、単に花を美しく見せるだけではなくて、その奥にいろんな生きるためのヒントを学んでいるのですよということを伝えていきたいと思います。

 私は、ある大学で留学生に花を教えています。実技を中心にした授業で、得がたい機会を提供していると自負しています。教え子のベラルーシーの男子学生は、日本語を学ぶために留学したのですが、一番よかったのはいけばなを学んだことだといってくれました。いけばなには思想がある、生き方というものを花から学ぶ、そういう日本人の考え方が魅力的であったといってくれました。また、ドイツの女子学生は、いけばなを始めてとても季節に敏感になったと。季節感を大事にする日本文化を大事にしたいと思ってくれました。私も、日本、京都に住まう一人として、季節を大事に、そして、花が教えてくれる生き方のヒントを大事にこれからも花の道に精進していきたいものです。

 京都は本当に素敵な町です。たくさんの出会い、そして、町を客観的に見せてくれるような空間。景観と観光と文化、それぞれが助け合って、これからも京都がますます進化してくれることを願っております。




パネルディスカッション

パネリスト
井上 成哉 明倫まちづくり委員会委員長
近藤 高弘 陶芸家・美術家
鳥羽 重宏 城南宮宮司
コーディネーター
吉澤 健吉 京都新聞社報道局次長

 

 



吉 澤

 昨年のフォーラムで、当時教育長でした門川大作さん(現市長)が最前列で聴いておられました。パネリストの小山菁山さん(京都三曲協会会長)から、「邦楽を学校教育にもっと取り入れるべきだ」という提言があったので、門川教育長にどうされるかと問うたところ、「やります」という宣言をしていただきました。

 早速、今年からは本格的な取り組みが始まっており、このフォーラムの成果として皆様に報告させていただくとともに、門川市長にあらためて敬意を表したいと思います。

 まず、当会館の地元の明倫学区の井上さんから、まちづくりについて報告していただきます。



井 上

 「明倫」は、三条、四条、烏丸、西洞院に囲まれた地域です。明治2年には、下京三番組の町衆が明倫小学校を設立しましたが、これが統廃合され、校舎は現在の「京都芸術センター」に生まれ変わりました。室町の問屋街は、江戸期から商家が軒を並べ教育熱心な地域であったことから、当時「石門心学」の教授所として「明倫舎」が設立されていました。明倫小学校という名前は、これにあやかって命名されたというわけです。

 現在の世帯数は、約1500。とりわけ、平成7年以降には、織物問屋が駐車場やマンションに変貌し、世帯増加率では京都市で1位となっています。また、和装・繊維産業の衰退に伴い、これら関連業種と町家を改造したレストラン等の比率が逆転しています。

 烏丸通は、夜間人口ゼロのビジネス街ですが、三条から高辻に至る烏丸通沿道地区計画では、マンションは建てさせないことに決定しました。

 『自分たちのまちは自分たちでつくる』という町衆の心意気を残す私達の地域では、平成18年に策定した地区計画地区整備方針において、祇園祭を受け継ぐ風格のあるまち、商いと住まいが共存するまち、安心・安全で暮らせるまちを謳っています。

 新町通には、祇園祭巡行時はすべての鉾が通ります。とりわけ、32の鉾のうち13が明倫学区に集中することから、町家のファサードを統一・保全するために、@クーラーの室外機には北山丹波杉を使ったカバーをかぶせる。A新町通の無電中化は費用が莫大なものになるので、電線の張りかた等を工夫する、などを盛り込んだ「新町 鉾のまちプロジェクト」を実施しています。

 明倫学区では、先ほども述べたマンションの新住民と旧来からの住民との交流が課題となります。そこで、「夜話の座」という交流の場を芸術センターにおいて実施しています。山鉾町の運営や商家のしきたりなどをテーマとする夜話の座の開催は、今までに18回を数えました。

 また、明倫学区の有志により、旧明倫小学校に寄贈されたペトロフ・ピアノは90年の歴史をもちますが、痛みも激しく、ごみとして処分される運命にありました。しかし、ピアノを愛する人たちが、その響きを蘇らせようと「忘れられた響き」というコンサートを企画しました。毎回千円で開催されるこのコンサートは既に15回開催されており、現在では230万円ものお金が集まりました。このピアノを描いた中村大三郎画伯の帝展入選作「ピアノ」は、京都市美術館の最初の所蔵品ですが、この夏には絵画のとおりに修復し、秋にはお披露目コンサートを開催する予定です。

 また、明倫学区では、これからの個性的なまちなみを形成しようとする取り組みが生まれてきています。とりわけ学生にかかわってもらうことが重要だと考えており、「京町家再生研究会」事務局長の小島冨佐江さんの自宅の一部には、京都学園大学のキャンパス「新柳居」が開設されたり、池坊大学や立命館大学によるまちづくり支援活動も始まっています。

 また、「室町」は、歴史的にも近江商人が築いたまちです。近江商人のモットーとして、売り手よし、買い手よし、世間よしという「三方よし」の商道徳が有名です。なかでも「世間よし」は「公共心の向上」につながるものです。

 今後の明倫まちづくり委員会では、「美」をキーワードに景観をかたちづくる町家の保全や点在するミュージアムなどを生かした個性あるまちづくりをしていきたいと考えています。



近 藤

 私の作品は現代陶芸および造形美術に属します。展覧会をどこで開いているのですかと尋ねられたとき、京都というだけでイメージとして好印象を持っていただけます。

 私にとって京都は、アートの制作場所として、古いもの、新しいものの両方の要素があり、創作のテーマによい影響を与えてくれるすばらしいまちです。

 今年の3月から4月に、ニューヨーク・マンハッタンのチェルシー地区(バリ・フリードマン・ギャラリー)で個展を開きました。マンハッタン島には、センター地区を中心に、メトロポリタン・近代美術館(MOMA)をはじめ、現代アートの美術館など、多くのミュージアムが立地しています。私自身もMOMAに入場するのに1時間以上も並んだことがあり、アート自体が観光化されているといえます。一方、私が個展を開いたチェルシー地区(マンハッタン10番街、11番街の道路に挟まれた地域)は、もともと倉庫街であったところに、この数年のうちに道の両側に300軒もの画廊が集積し、いろいろな国の現代作家の作品が、世界へ向けて発信されています。

 京都に話題を戻しますが、作家の作品を企画・展覧するパブリックなところとしては、京都市美術館・京都国立近代美術館、京都府文化博物館や、百貨店の企画催事などがあげられます。しかしながら、こと現代作家の作品を中心とした企画展を行うとなると、パブリックな展示会場は、京都芸術センターくらいではないでしょうか。無論、歴史あるまちですから、京都とニューヨークを比較することはできません。地方都市と比較して、これだけ多種多様で国際的に通用する作家が暮らし制作している地域はほかにはありません。これは大きな財産です。

 そんな京都だからこそ、もっと多くの作家の展覧会を企画・検証し、その上で新たな現代の価値の創出をはかることが必要だと思います。

 昨年、芸術センターで、「変容の刻(とき)」というタイトルで、展覧会を開催しました。それに合わせ、ワークショップやギャラリートーク、地球を見ながら月でお茶を飲むという趣向の「宇宙茶会」、またコンサート・シンポジウムを併催しました。シンポジウムは「もの・ひと・生活」をテーマとしましたが、ただ作品を展示し観てもらうだけではなく、『参加型』ということも重要な表現手段のひとつになるので、シンポジウムに先立ち、子供たちを中心に『手作りと機械生産の違い』を体感してもらうためのワークを行い、それぞれの手法で「湯呑み」を作成してもらい、同時に展示しました。

 パブリック型の現代アート展覧会場として、さらに現代演劇の上演なども積極的に開催されている京都芸術センターは非常に貴重な存在なのです。

 次に、展覧会を企画できる人材として若いキューレター(学芸員)がおられますが、インターン的な配置であり、数年で交代されてしまいます。育った人材が他の美術館やアートセンターに異動され、活躍されるという観点からは、よいシステムだと思いますが、一方で、芸術センターとしての主体となる学芸員のあり方がはっきりしません。

 京都からの新しい芸術の発信は、次の創生につながるものであり、京都の伝統を熟知し、現代的・国際的見識を持つ複数の主任級人材を育てていってもらうことも必要だと思います。



吉 澤

 近藤さんは、祖父が人間国宝・近藤悠三氏で、山科区の山裾のアトリエを拠点に活躍をされています。ありがとうございました。

 最後に鳥羽さんにお話を伺います。このパネルの打ち合わせのとき、鳥羽さんは背広を着てくると言われたのですが、ほかのメンバーがだめだといいまして、今日は、白衣姿でご登場いただきました。鳥羽さん。よろしくお願いたします。



鳥 羽

 城南宮には、引越し・家づくりの際の方除け、安全祈願に多くの方がお参りされています。先ほど「宇宙茶会」の話が出ましたが、将来、月にお茶室を作られる時には地鎮祭に行きたいと思いますのでお呼びください。

 先日、京都で学生時代を共に過ごした友人と話をする機会がありました。商談にやってくる欧米のビジネスマンを、長い歴史のある京都に案内すると、尊敬の念を抱くようになり、我々に対する見方が変わるといいます。千年以上、都がおかれた京都の文化は何ものにも代えられないものなのです。

 城南宮は、平安城の南のお宮を意味し、平安京に都が定められたとき、守護神として創建されました。その後、城南宮付近には鳥羽殿といわれた離宮が築かれ、離宮の池では舟遊びが行われ、王朝文化が花開きました。また、流鏑馬発祥の地でもあり、「平家物語」でも取り上げられ、与謝蕪村は、「鳥羽殿へ 五六騎急ぐ 野分かな」と詠みました。また、「御伽草子」では、鳥羽の津に一寸法師がお椀の舟から降り立ったとされるなど、城南宮の周囲は歴史に彩られています。

 3年前には、約800年ぶりに流鏑馬を復活させることができましたが、これからは地域のシンボルとして定着させ、鴨川の岸辺で執り行えれば素晴らしいと考えています。

 また、昨年から都の東西南北に鎮まる平安神宮、八坂神社、上賀茂神社、松尾大社とともに、「京都五社めぐり」という巡拝会を始めました。(平安京の東西南北を護るとされた神獣「四神」にちなみ、上賀茂神社を北の玄武、城南宮を南の朱雀、八坂神社を東の青龍、松尾大社を西の白虎と見立て、京都の四方にある4社と、平安京を造営した桓武天皇をまつる平安神宮が協力して、共通の色紙に朱印を集めてもらうもの。)

 京都には歴史を秘めた多くの社寺があり、人々は、祭りで神輿を担ぎ、縁日にはお参りし、まちの掟を守ることを神仏に誓ってきました。そして、朝廷の行事が民間に広まり、民間の習俗が貴族に取り入れられ、数多くの年中行事を暮らしの節目に行ってきました。神社仏閣は、今なお年中行事の宝庫です。なかには、途絶えていた行事を再興したものもあります。

 「今昔物語」に、西洞院二条に住む僧侶が、神様の招きで天を衝く大木に登って神様の御殿を訪れる話があります。このとき神様は、「少しの間お待ちください。ただし、決して外をのぞいてはいけません」とおっしゃいましたが、僧侶はこっそり外を見てしまいました。すると、東には鶯の鳴く正月、南には初夏の葵祭、南西には、6月の夏越の祓が見えました。このように四季の行事が雅やかに行われる場所が神様の住まわれる理想の世界とされたのです。

 「源氏物語」の中で、光源氏は、四季の御殿を持つ六条院を造り、四季の景色とともに年中行事が描写され、物語は展開していきます。いわば祖先から受け継いだ行事をつつがなく行って、年を重ねることが、人々の理想の暮らしとされていたのです。

 今でも神社に行くと、半年間の穢れを祓うため「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 伸ぶと言うなり」という「拾遺和歌集」にある、すなわち紫式部の時代から同じ和歌を詠んで御祓いをします。

 明日、7月24日は祇園祭の還幸祭であり、御神輿がお宮にお帰りになります。祇園祭は、疫病退散の御祓いの意味を持っています。現在、5月から9月まで行われ、観光客でもにぎわう鴨川の「川床」は、江戸時代には旧暦6月の祇園祭に合わせた10日間あまりだけ行われていました。

 今と異なり、床机は、川のふちや中洲にもおかれ、流れに手足をつけることもでき、幕末の案内記に、これは「夏越の祓」を人々になさしめようとするご神慮であると書かれています。また、杯を流して遊ぶ者もおり、今なら不法投棄で罰せられそうですが、元禄時代の書物には、これは「曲水の宴」を真似ていると記載されています。

 城南宮では「曲水の宴」を年中行事として行っています。今では、あちこちの地域でもまちおこしで行われますが、京都の曲水の宴がよく採り上げられるのは、人々が京都こそ雅な遊びにふさわしいと考えている証ではないでしょうか。「都名所図絵」に、高瀬川に杯を流して曲水の宴の真似をして楽しむ様子を描いた挿絵があります。このように年中行事を身近に楽しむというDNAは皆さんにも伝えられていると思います。

 現代のテーマパークは、リニューアルを繰り返し、常に新しさをPRし続けます。一方、祭礼は、本来の姿を壊すことなく持続的に発展し、人々をひきつけます。その根底には、単なるイベントではない神仏への祈りがあり、根幹は揺るぎません。先人が伝えた心を受け継ぎながら、けれども「遊び心」を忘れずに京都創生に取り組んでいただきたいと思っています。



吉 澤

 よい声ですね。アナウンサーよりうまいぐらいです。

 さて、明倫学区では、「夜話の座」というのを開催されているとのことですが、新住民との交流はいかがなものでしょうか。



井 上

 イノベーション、創生、温故知新のためには、古いことも分かっていないといけないし、新しいアイデアも必要です。しかし、祇園祭も含め、室町期以前のことは、実はよく分かっていません。

 明倫学区でも、転入者の8割以上がマンション住民であり、いきなり地域のことを言ってもわかるものではありません。そこで、「夜話の座」では、少しずつ明倫地域のことを語り合いながら、地域の風習や祇園祭のことを伝えています。京都国際マンガミュージアム・京都文化博物館・新風館・宮井ふろしき・袱紗ギャラリーなど「アート」を基準に大切に創生していきたいと思っています。



吉 澤

 近藤さん、室町はチェルシーとなり得ますか。



近 藤

 ニューヨークの倉庫街にアーチストが移り住み、ソーホー地区は画廊が多くでき、その後もおしゃれなまちになって、ファッションや飲食店なども進出しました。現在は、チェルシー地区がアート(画廊)の中心となっています。

 室町がチェルシーになる必然はないと思いますが期待は持てます。

 京都は、価値ある古いものをアーカイブし、現代の作品や作家の活動とどうつながっているのかを見ていくことも重要だと思います。たとえば、現代美術家の村上隆氏の作品は、日本のアニメや漫画などおたく文化のサブカルチャーの現在性をアート化した国際的なアーチストですが、日本の浮世絵や鳥獣戯画、源氏物語などの絵巻物もその当時の、ポスターやブロマイド、漫画や雑誌と考えると、これが変容して、現在のわが国のマンガ、アニメが世界を席巻する文化となり得たと見ることができるのではないでしょうか。

 京都には様々な歴史的文化のネタが一杯あります。それらを現代につなげ、編集・クリエートしていくソフトや場・モノの創出が重要です。



吉 澤

 伝統産業が衰退していますね。素晴らしい作品が消費者ニーズになかなかつながっていかない。京都には仕組みがないということでしょうか。



近 藤

 アメリカでは、税法上の違いもありますが、作家、キュレーター、ギャラリー、コレクターの四身一体ともいえる仕組みが機能しているように見えます。

 そのような循環的仕組みを京都でもつくることが、今後可能でしょうか。

 京都には、4つの芸術系大学の重要な存在があります。また、美術系以外の大学でも国際的なアートの研究会やシンポジウムも開催されています。また、木屋町の旧立誠小学校のアート活動やその他のNPO団体などの個々の活動は評価されるものですが、それらのアート活動が、「点」にしかなっていないように感じます。それらを「点」から「面」に、そして「立体」的にすることによって豊富なアートの全体的な「方向性」がみえてくるのではないでしょうか。

 このことを分かりやすくするために、何を残し、どのような新しいものを創生するのかを検証できる機関の創設が是非必要です。



吉 澤

 他地域では限られた宝を、それしかないから懸命に売り込む。一方、京都は宝の宝庫であるのに、システム化がされていないということですね。



鳥 羽

 先ほど、パブリックスペースで、現代美術を展覧できる場所がないという発言がありました。古い神社やお寺には立派な絵馬堂(殿)があります。これは、誰でもが一流画家の絵を見ることができるギャラリーの役割を果てしており、江戸時代には絵馬のガイドブックまで発行されていました。今一度、神社仏閣もアートの発信の場として色々と協力できるかもしれません。

 また、京都市の北部ではビルの高さ制限が厳格になって、かえって南部地域が野放しにならないか心配しています。市南部地域には大きな会社がありますが、かつての室町の大店が職住接近であったように、会社の近くに住居を設け、子育てもしながら、生活者の目線でまちづくりにも参加してほしいですね。



吉 澤

 南部地域には世界企業の本社が集積していますが、社員は住んでいないんでしょうね。



鳥 羽

 単身者の住まいはあるようです。「会社として、まちづくりにどう貢献するか」について社内会議で発言力を持っている方に、家族で住んでいただきたいものです。



吉 澤

 私自身も今の町内では新参者であり、地区の神社の氏子としては、古くからの居住者と差別されているような気がします。

 新住民の氏子としての溶け込みはどんな具合でしょうか。



鳥 羽

 せっかく町内に移り住まれましても、すぐ転勤などで引越しされる方もあり、同じようには任せられない、という思いはあるかもしれませんが…。



吉 澤

 確かに鳥羽さんのおっしゃるとおりです。恐縮です。

 少し時間が残っていますので、最後に一言ずつ御発言をお願いします。



井 上

 私の住む新町三条では、呉服会社の社員さんが朝の7時から門掃きをされており、町内全てをきれいにされるほど熱心です。企業の協力的な姿勢は私たち以上であり、祇園祭にも協力してもらっています。

 近藤さんのおっしゃるキューレターの課題ですが、昭和30年代には、室町の大店のスポンサーが、先ほど述べた中村大三郎画伯などの画家を育てました。その残滓というのではありませんが、室町界隈では、今でも屏風祭を行う町家などが数十軒残っており、日本画家の発表の舞台となっています。

 これからは、大店にスポンサーとしての役割は期待できないと思いますので、地域の人の覚醒、支えあう力を結集して、創生の方向性を見つけていきたいと思います。



吉 澤

 竹内栖鳳画伯を代表とする京都画壇の先生方が画学生であったころ、千總などがスポンサーとなるなど、室町はプロデューサー力を発揮していました。今でも室町には、当時の作品が多数残されていますね。



近 藤

 先ほども述べましたが、京都がニューヨークになる必要はありません。また、東京には、近年、六本木やミッドタウンにミュージアムができましたし、金沢では、21世紀美術館を中心に活性化が図られています。

 京都にも現代美術館のようなスペースがいずれできればよいと思っています。が、もしできなくても、たとえば海外のアーチストは、寺社仏閣は面白い空間であると考えています。既に彼らの手により、京都アートウォークなどのようにお寺での展覧会が開催されたりしています

 イタリア・ベニスのビエンナーレ(現代美術の国際美術展覧会)では、メインの展示会場のほかに市街各所にあるヴィラ(邸宅)や協会を確保して各国のアーチストの展示が行われます。いわば、まちの中がアート会場という感覚です。

 祇園祭も、その期間、家の中をアート空間に見立てて飾られますが、京都の街全体をアート空間ととらえることもできます。

 これまでから、こうした京都のアートに関連した議論やシンポジウムが開催され、多くの意見がだされますが、その場限りで終わっております。議論の趣旨を吸い上げる機関が必要です。その機関では、観光・景観まちづくりに「美術」も加え、文化発信してもらいたいです。



吉 澤

 このパネルの内容は、新聞でも特集記事として紹介します。府市はもとより、文化庁の方にも刺激になればよいですね。



鳥 羽

 門掃きの話がでましたが、「父:うちの庭を掃いとけよ。子:父ちゃん、うちに庭なんかないよ。父:なに言うてんねん。うちの前の通りが庭やないか。」という小噺を聞いたことがあります。そのくらい、家の周りを家の続きとし、まちを大切にしてきたから、美しさを保てたのだと思います。

 京都の観光客は、4,944万人を超え、一日平均13万5000人。市の人口が147万人ですから、11人に一人が観光客で、さらに14万人の大学生が学んでいます。今、高校での日本史は選択科目で、古典の時間も限られています。大学生と話をしたら、京都に居ながら神社とお寺の違いがわからない、お参りの仕方も知らないという学生がたくさんいます。これは私たちの問題でもあると思います。

 次の世代に京都への関心が芽生えるように、古典や日本の文化を全国の高校生が学ぶ機会を増やすことが必要だと思います。教育分野に強い市長さんに、そういった教育のカリキュラム作りの働きかけを行っていただき、将来の京都ファンを今から養っていただきたいと思います。



吉 澤

 今日のパネルでは、京都芸術センターと城南宮がいかにつながるかが心配のタネでしたが、ぴったり一致しました。

 これでパネルディスカッションを終了します。

 暑い中、たいへんありがとうございました。

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