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代表あいさつ | ||
フォーラム代表の立石でございます。祇園祭のにぎわいが伝わってまいりますが、そういう中で皆様方大変お忙しい中、多数のご参加をいただきまして誠にありがとうございます。心より厚く御礼申し上げます。 さて、私は高い文化と学術を有する創造的都市、イノベーティブ都市と表現しておりますが、その時代の産業に革新を起こす、これが私の持論でございます。京都はまさにそのような都市であると思っております。 京都が日本のみならず、世界から様々な多くの人を引き付け輝いておりますのは、1200年の間に守るべき物は守りつつ、常に新たな生活文化を創造する提案力が、この京都の都市にあるのではないかと思っております。 そこには昔からの人々の生きる知恵、生き方の知恵、あるいは早くからの産学公連携による知恵のインフラを基盤にして、京都の持つ、いわゆる科学と技術、あるいは匠の技、あるいはデザイン、そういった物の特性がさまざまな形で融合し合う、それによって商品、あるいはサービス、さらにはビジネスモデルというものが開発されて、新たな価値を創造していくという強みが京都にはあるのではないかと思っております。 現在の我々が生活する社会に目を向けてみますと、ご承知のとおり、価値観が多様化する成熟社会、地域主権型の分権社会、あるいは環境と経済の両立を実現する持続可能社会、また、いわゆるグローバル社会、そういった新たな社会への移行が顕在化しつつございます。 このような社会の変化に対しまして、先ほども述べましたが、京都の特性が様々な形で融合する強みを生かして、新たなこれからの生き方、暮らし方、また、町の在り方に関わる社会ニーズに応えていく。例えば、環境の保全、資源・エネルギーの節約・代替、また、安心・安全の確保、そして、健康の維持・増進などの社会ニーズを満たすための知恵、すなわち創意工夫、独創力を加えて、これからの社会に対して新たな価値を創造していくことが必要になってまいります。 そのためには、これまでの工業社会における物の豊かさの修正、また、便利さの修正といった、これからの生き方、暮らし方、また、町の在り方に関する新しい価値観を生み出していくことが、それに挑戦していくことが大変重要になってくるものと考えております。 そういう観点で申し上げますと、京都市が次の50年、100年を見据えた景観施策の決断をされたことは、京都らしい美しい景観を守るということもさることながら、先ほど申し上げました、これからの成熟社会、あるいは分権社会、持続可能社会といった、新たな社会構造の変化を想定して、新たな生活文化を創造するために、行政が市民の皆さんと一体となって提案されたものと受け止めております。まさしく変革に向けて全員挑戦を呼び掛けられたものでもあるのではないかと考えております。 これからの門川市長さんの力強い施策の推進に大いに期待するとともに、経済界としても、この大英断にしっかりと呼応していくことが京都創生の道筋であり、地域活力の源泉である中小企業の振興にとっても大変不可欠であると考えております。 京都商工会議所といたしましても、地元の中小企業を中心に、この知恵で社会に新たな価値を創造していくビジネスを育てようと、知恵産業の町、京都の推進をビジョンに掲げ、取組を始めたところでございます。 京都で暮らし、働く私たち一人一人が、これからの京都のために何ができるのか、何を提案していくのか、今まさにその知恵が求められております。皆さん、お一人お一人の知恵と取組が京都創生の実現に向けての力強い歩みとなることを確信致しており、本日のシンポジウムから少しでもそのヒントを感じ取っていただければ幸いでございます。 結びにあたりまして、本日心よく講師、パネリストをお引受けいただきました先生方に厚く御礼申し上げますとともに、御参会の皆さん方の御健勝を御祈念申し上げまして、開会の御挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。 |
市長あいさつ | ||
皆さん、こんにちは。京都市長の門川大作でございます。 「日本に京都があってよかった、世界に京都があってよかった。」 京都は、全国はもとより、世界の人々からそう感じ続けていただける都市でなければなりません。1200年の歴史を有する京都は、それだけの責任を有しているのです。そういうことで京都創生推進フォーラムを立ち上げていただき、この暑い中に、これだけの方がお集りいただきまして本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。 また、代表をお務めいただいております立石会頭の、先ほどのお話を聞かせていただきまして感銘を受けました。建物の高さを規制する等、なかなか経済活動と融合していくのは難しい話であります。東京ではこれだけの話はしていただけません。そんな中で、やはり京都は経済界も、大学も、マスコミも、あらゆる市民の方々も、皆さんで京都の歴史と伝統、京都の知恵を生かしながら新たに創造していこう、そんな取組を進めていただいています。本当にありがとうございます。 明日は祇園祭の還幸祭であります。祇園祭の起源は色々伝えられておりますが、1100年前に、当時日本にあった66の国の平安を祈って、66基の鉾を立てて巡行したことが始まりであるとも言われています。 そういう意味で、京都の町衆は、常に京都だけではなく日本全国のことを考えており、今は世界のことを考えていく使命があるのではないでしょうか。 また、祇園祭は、多くの方々が苦しまれ亡くなられた疫病の撲滅のための祈りとして始められたとも伝えられております。今、疫病ははやっておりませんが、様々な病がございます。新型インフルエンザの問題、若者に広まっているエイズの問題、更には生物学的な病気だけではなく、環境破壊や自己中心的な生き方など社会全体に様々な病理現象というものがございます。 世界の平和を祈り、同時にそういう社会病理現象も克服する必要がある、そのために立ち上がるのは京都市民であり、現代における祇園祭の意義ではないかとも感じております。 そして京都の町衆は、困難な中にこそ常に好機を見つけ、ピンチをチャンスにして、見事に1200年を超える歴史を積み重ねて来られました。その知恵に学びたいと、私は改めて感じています。 先日、国が環境モデル都市、10都市を指定するということで、多くの方々のお知恵をいただきながら、京都も名乗りを上げました。結果が、昨日発表になりまして、6都市が環境モデル都市に指定され、京都は7番目で、環境モデル都市候補となっておりました。 これは「頑張れ」ということだととらえて、モデル都市指定に向け、今後とも皆さんと一緒に、京都のまちの、町衆の知恵を生かした、京都ならではの取組をしていきたいと考えています。例えば、木の文化、森の文化を活かした取組。あるいは「歩くまち・京都」の自動車から公共交通に転換を図る取組。歩くことは健康にもつながります。また、イノベーション、すなわち、科学技術をもっともっと進歩させて、CO2排出を削減していこうという取組。更には、「もったいない」の精神や「始末」の心により、生き方、ライフスタイルを変えていく取組です。 会頭の話にもございましたが、便利さばかりを追求していくのではないのです。例えば、コンビニエンスストアが住宅街でも24時間営業されているのはどうか、営業の自粛ということも考え、一度市民ぐるみで検討していただいたらどうでしょう。 東京では、「夜、コンビニを閉めてCO2がどれだけ削減できるか計算したか」とか、「夜の電気の多くは原子力であり、CO2を増加させることなく電気は供給される」というような議論もありました。しかし、深夜まで子どもがうろうろするような夜型人間の生活を昼型人間に変えたらいいのではないでしょうか。 夜8時、9時、10時までは、コンサートや歌舞伎などの文化を楽しむのもよいことですが、公共交通の動いている間に家路に着いて、早寝、早起きをし、朝ごはんをしっかり食べる。そして子どもをしっかりと育むことも大事ではないでしょうか。こんなことを市民ぐるみで議論していきたいと考えております。 行政主導でやるのは決してよくない。市民の知恵を生かしながら、地球のために、環境のために、そして地域社会のために、次世代を健全に育てていくために考える。その答えは、京都の歴史と、文化と、町衆の知恵の中にあるのではないかと思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いします。ありがとうございます。 |
講演:「京都創生〜美的生活のなかに〜」 | ||
○背筋を伸ばす 笹岡でございます。今年も祇園祭の山鉾巡行が終わりました。祇園祭には、私も長刀鉾の囃子方として参加させていただいておりました。私は小学校5年生のときにお稚児さんに選ばれ、その翌年から囃子方としてお稽古に励んでおります。 そんなわけで、毎年、長刀鉾の上から、自分の五年生のときを思い出しながら、お稚児さんを見ております。お稚児さんは、神様の使いですから地面に足をついてはいけません。そこで、強力さんがお稚児さんを肩に担ぐのですが、これが怖いんです。足は宙ぶらりんのうえ、片手は扇子を持っています。しかも、はしごの上では、強力さんが観客にお稚児さんを披露するように振り返りますので、身体は縮み上がります。そんなとき、稚児係さんが「背筋伸ばして、しっかりせんか」という意味で、お稚児さんの背中をパシッと・・・。 背筋を伸ばすということは、いけばなの世界でも非常に大切です。私は3歳から遊びとして、いけばなを始めましたが、当時の家元である祖父によくいわれたのは「うつむいたらあかん」でした。 小学校に入った頃に、初めて花を美しくみせるテクニックを教えてもらいました。それが「うつむいたらあかん」ということでした。そのとおりで、背筋をしゃんと伸ばした花は元気に見えます。このことは人も同じで、お稚児さんも背筋を伸ばしていると立派に見えます。そして、人の生き方も背筋を伸ばせば良くなります。悲しいことや落ち込むことがあって、うつむいていたら、何も変わりません。悲しさをバネにして前を向いて成長していきたいと願う、その気持ちが大事だと思います。いけばなのテクニックは、人がどうすれば美しく生きることができるのかのヒントを与えてくれます。 花をいけるときは、単に美しくいけるだけではダメ。いけばなの伝書には、「花の美しさを際立たせることだけに執心してはならない。」われわれが花を生けることは、単なるアートではありません。 われわれは、花からいろんなことを学びます。生き方、花の顔を上に向けるみたいに、上を向いて生きましょう。そういったことを日々学んでいます。 いけばなは、京都とのむすびつきが強い。今日は、京都創生推進フォーラムという場をお借りしまして、いけばなから見た京都という町についてお話させていただきたいと思います。 ○リノベーション 〜古きよいものの上に新しい価値〜 京都文化博物館、私はこの建物が好きなんですが、元は日本銀行の京都支店として立てられた建物です。このレンガ造りの洋風の建物は、町家がたくさんある三条通につくられました。しかし、それが年を経て、自然に町に馴染んできます。このように京都には新しいものをうまく調和させる力があるように思います。この建物が、日本銀行として役目を終えますと、取り壊すのではなく、博物館として利用しています。建築の世界ではリノベーション、刷新とか革新とでもいうのでしょうか。リノベーションの良いところは、古いものの良いところを残しながら、そこに新しい価値を見出すということです。まさに「伝統と創生」です。 京都には、町家のカフェやレストランなどこういった建物がたくさん見受けられます。難しいのは「線引き」。どこまでを残し、どこを今の時代に合うように変えていくのか、伝統と創生のバランスを上手にとりながら京都という町は進化していると思います。 ○出会いから生まれるリノベーション いけばなも、古いものの上に新しいものを積み上げている、そんな世界です。現代の作品では、鏡やアクリルのワイヤーといった現代の素材を使用しながらも、顔を上に向けることや、基本形の三角形など昔から日本人が大切にしてきた美の法則がちゃんと根底にあります。 ちょっと話が飛びますが、京都は三方を山に囲まれていて、そんななかで多くの人がひしめきあって暮らしています。私は文化というものは、人と人が出会うとき、ぶつかるときに生まれると考えています。ですので、人がひしめきあって暮らしている京都は、文化が生まれる出会いが起こりやすいところといえます。私もいろんな人と出会い、いろんな友人がいます。 いけばなは極端にいうと、先人の教えてくれる美の法則さえ知っていれば、誰がいけても美しくいけられます。ですから、新たな出会いがないと、古典ばかりに閉じこもりがちになってしまいます。その点、京都は出会いをくれ、新しいものに取り掛かるきっかけをくれます。京都という町は、そういう出会いをくれるという町であるように思います。出会いによってうまれた新しい試みの事例をいくつかご紹介します。 ここに漆の器に生けた花の作品があります。漆と花。この作品では、友人の漆の作家さんが、菓子器をつくりました。お菓子が載るのですが、友人がここに花をいけてみてよといいます。花器ではないので、水を入れることは想定していません。そこで、表面張力を利用して、水を2mmほど張りましたが、当然、剣山は使えません。そこで考えたあげく、クレマチス(鉄仙)の蔓を使いまして、器の手付の部分に巻付け、花も首を短くして添えました。これが意外と、非常に面白い作品になりました。(写真) 次の事例。舞台で花をいけることもあります。もともとは、海外の方にいけている過程を見てもらうということを意図して始めました。舞台ですので、大きい作品をいけます。このように舞台で花をいけることは、私のライフワークとなりました。 ある舞台では、狂言とのコラボレーションを行いました。私が花をいけ上げた舞台で、狂言を舞うという試みです。狂言や能は、造り物の花を使うのが常ですが、本物の花を使うことによって演じている方も雰囲気が違うといいます。これもまた新たな出会いです。ちなみに、私の弟は小学校の授業で狂言を見て、茂山さんのところへ入門しています。 つい先日、下京中学校で話をさせていただきました。浴衣の授業があって、浴衣で一日過ごしましょうということで、地域の皆さんで着付けもし、浴衣も不足分は呉服業者さんが寄贈されたとのことでした。小さい頃からいろんな試みができる、これが京都です。 次は、フルートと能といけばなのコラボレーションです。最初は、能という和の音階といけばなのコラボレーションでしたが、しばらくすると、能からフルートに代わり、洋の音階のなかで花をいけました。そうすると、花の見え方が変わってくるのを感じました。これは、花を目だけで見ているのではなくて五感で見ているからなのでしょう。 ○いけばなから学ぶ生き方のヒント さきほど京都の町の特徴として山の存在を挙げました。山には、町を囲う役割がありますが、もう一つ、山に登れば、街を上から眺めることができます。京都の町中には、双ケ丘、船岡山、吉田山など小さな山があり、登れば十分に京都の町を見渡すことができます。自分のことを客観的に俯瞰すると、自分自身がとてもちっぽけに感じられます。自分の身の回りのことでせいいっぱいになっている自分を客観視して、ゆったり構えようと教わるのです。 私は、日々、花をいけるという仕事をしています。いけばなの心得、ひとつは、先ほど言いましたが「目の前にある花を美しく見せることだけに執心してはいけない」ということ、そして、さらに、「花の生い立ちに思いを馳せよ」ということです。花の生い立ち、この目の前の花はどこから来たのか、太陽がなかったら光合成もできない、大地がなかったら水や養分をとれない、美しい花として存在できない、つまり、花は、天地のエネルギーが凝縮したものといえます。この心得は、花をいける私たちに、花を通じて、この世の中の事を考えなさいと教えています。今でいうと、環境問題がそれにあたるのではないでしょうか。私たちが日々生活する中で、無駄にしているものって結構ありますよね。よくいわれていますが、レジ袋を使わない、水道の水を無駄に流さないなど、そういう小さなことを積み重ねることは、花をいけることに通じるのではないかと思います。それぞれの行為が世の中に与える影響はしれています。でも、小さなことを積み重ねていくこと、これが大事です。ひとりひとりが意識する、それがまとまり、声に出す。そうすれば、その思いがどんどん広がっていき、やがては大きな動きにつながると思います。たとえば、京都でも、食用油でバスが走っていますし、生ゴミをエネルギーに代えようとする挑戦もなされています。しかし、この世の中が、このまま経済優先で進んで行ったら変わらないですね。それを代えるのは優遇税制であったり、環境に優しいものに対する補助金であったりとかですが、それを決めるのはやっぱり私たちの声の積み重ねなんです。私たち一人ひとりが小さな努力をし、自分たち自身も実践して、それが広がっていくからこそ、世の中を変えられるんじゃないかなと、そんなことを花を見つめながら考えています。 私は、いけばなという文化を残していくことが仕事です。やはり、今、日本文化に携わる人が減少しているといわれています。しかし、いけばなには、すごくたくさんのエッセンスが、京都の、そして日本のエッセンスがつまっています。次代を担う子供たち、その一人ひとりに日本の文化を知ってほしい。日本人は、単に花を美しく見せるだけではなくて、その奥にいろんな生きるためのヒントを学んでいるのですよということを伝えていきたいと思います。 私は、ある大学で留学生に花を教えています。実技を中心にした授業で、得がたい機会を提供していると自負しています。教え子のベラルーシーの男子学生は、日本語を学ぶために留学したのですが、一番よかったのはいけばなを学んだことだといってくれました。いけばなには思想がある、生き方というものを花から学ぶ、そういう日本人の考え方が魅力的であったといってくれました。また、ドイツの女子学生は、いけばなを始めてとても季節に敏感になったと。季節感を大事にする日本文化を大事にしたいと思ってくれました。私も、日本、京都に住まう一人として、季節を大事に、そして、花が教えてくれる生き方のヒントを大事にこれからも花の道に精進していきたいものです。 京都は本当に素敵な町です。たくさんの出会い、そして、町を客観的に見せてくれるような空間。景観と観光と文化、それぞれが助け合って、これからも京都がますます進化してくれることを願っております。 |
パネルディスカッション | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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