京都創生推進フォーラム
シンポジウム「京都創生推進フォーラム」
日 時 平成21年7月14日(火)
会 場 同志社大学 寒梅館 ハーディーホール



14:00 ピアノ演奏 内藤 裕子

14:10 主催構成10団体紹介
  挨拶 立石 義雄(京都創生推進フォーラム代表)
    門川 大作(京都市長)

14:30 講演: 「世界が注目する 京料理の魅力」
  講師 村田 吉弘 (京料理「菊乃井」主人)

15:30 パネルディスカッション
  パネリスト 大野木 啓人 (京都造形芸術大学芸術学部長)
    村田 吉弘 (京料理「菊乃井」主人)
    森田 りえ子 (日本画家)
 

コーディネーター

吉澤 健吉 (京都新聞社総合研究所長)




代表あいさつ

京都創生推進フォーラム代表 立石 義雄

 みなさんこんにちは。当フォーラムの代表を仰せつかっております、京都商工会議所会頭の立石でございます。

 京都では祇園祭の巡行が間近に控えておりまして、たいへん暑い季節でございますが、その中をたいへん多くのみなさま方にご出席いただきまして、ほんとうにありがとうございます。心より厚く御礼申し上げます。

 いつも言っていることでございますが、京都が世界で輝いておりますのは、日本文化の守るべきものを守りながら、常に新しいライフスタイルを創造する提案力があるからだと思っております。そのため、世界からたいへん多くの人々がこの京都に集まって来られるわけでございます。その吸引力こそが新たな融合を引き起こしまして、1200年の時を経て、新しい産業と生活文化を創造する知恵を生み出してきたと言えるのではないかと思っております。言い換えますと、京都はいわゆる人の生き方、暮らし方、まちの在り方の知恵の宝庫であると思っております。

 ところで、最近の政治、あるいは社会の動きを見ておりますと、明治維新以降の日本の成長を支えてまいりました、一極集中の中央集権社会のほころびが顕在化してまいっております。その対応として、中央から地方へ、言い換えますと中央集権社会から地域主権型分権社会への移行が、これまで以上に求められてきているということでございます。

 京都では、未来の京都をつくるために、現地、現場主義による行財政改革の断行を掲げます門川市長が誕生したのは、ご承知のとおりでございます。

 私は、いまこそ経済界、NPO、住民などが本音で意見をぶつけながら、一体となって取り組んでまいることを、この京都から起こしていかなければならないと考えている一人でございます。いまのような行政、経済界、NPO、あるいは住民などが、お互いを相対する存在とみなして、本音ではなく建前だけで接する関係では、地域主権による未来の京都をつくることはできないと考えております。

 それには、お互いの役割と強みを認め合う誠実と信頼のきずなを基本として、30年後にどのような京都でありたいのか、どのような京都を次の世代に残したいかというような長期ビジョンを、企画の段階から連携して策定し、それを共有していくことがたいへん重要であると考えております。そのような長期ビジョンは、毎年のさまざまな施策の是々非々を判断する一種のものさしとなって、その透明性、情報公開、説明責任を高めて、地域主権のいわば統治能力、ガバナンスを高める効果をもたらすと考えております。

 また、一方で、今日のグローバル化とデジタル化は、人、もの、資金、あるいは情報の移動を活性化しており、世界では国家間というよりは、例えば東京とニューヨーク、あるいはパリとロンドンといったように、生活の基盤であります都市と都市との間の競争の時代になってきていると考えております。

 冒頭に述べましたように、これからも京都が世界で輝き続けるためにも、立場は変われども京都で暮らし、学び、働き、そして地域で共生するわれわれには、環境と経済が両立する持続可能な、いわば循環型社会を構築するために何ができるのか、何を提案していくのか、そのための知恵がいまこそ求められていると考えております。

 この京都では、今年の秋には「知恵と力の博覧会」、すなわち「知恵博」が開催されます。10月から2ヵ月間、京都のまちを大きな博覧会場と見立てまして、神社仏閣、観光施設、企業、行政などオール京都の態勢で、特別公開や、特別体験などを含む500以上のイベントがおこなわれる予定であります。これを単なるイベントに終わらせるのではなくて、京都が長い歴史のなかで培ってまいりました生き方、暮らし方、まちの在り方の知恵を国内外に発信することを通じて、人、もの、資金、情報を引き付けるとともに、未来の京都をつくるために活用してまいりたいと考えております。

 本日は、のちほど「菊乃井」の村田様に「世界が注目する京料理の魅力」をテーマにご講演いただきますが、例えば京料理は、単なる食事という本来的な価値に加えまして、心の満足や、やすらぎを与え、また食事をする空間、しつらえ、食器など、お客さま一人一人の嗜好に応じた創意工夫を付加価値として加えて、京都が誇る洗練された文化を形成されており、そこには多くの知恵があらわれていると考えております。

 結びにあたりまして、本日は快く講師やパネリストをお請けいただきましたみなさまに、厚く、厚く御礼申し上げますとともに、この多様性を持つ地域主権型の未来の京都をつくるためのたくさんのご示唆を期待して、開会のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。






市長あいさつ

京都市長 門川 大作

 みなさんこんにちは。京都市長の門川大作です。

 京都創生推進フォーラムに暑い中、ほんとうにたくさんの方にご参加いただきました。お一人お一人に心から感謝申し上げます。

 先ほどからお顔を拝見しまして、繁市会議長はじめ、多くの議員さんに来ていただいています。ほんとうに京都の各界のリーダーの方々にお越しいただいています。地域でたいへんなボランティア活動をされている方、多くの方々にご参加いただいています。ありがとうございます。また、立石会頭の含蓄のある話を、ほんとうにありがとうございます。

 そして、この530団体、個人で組織していただいていますフォーラム、今日は世話役をしていただいています運営委員のみなさん方にご出席賜っております。ありがとうございます。

 市長に就任させていただいて、500日余りになりました。徹底して現地、現場主義、立石会頭も商店街などをずっと回っておられますけれども、私もあちこち、1,200ヵ所ぐらい回らせていただきました。

 厳しい社会経済状況であります。伝統産業が、市民生活が、中小企業が厳しい。その厳しさを実感すると同時に、京都には素晴らしい地域力がある、また、素晴らしい人々がおられるということで、感動いたしております。

 そのオール京都の力を結集して、昨年は「源氏物語千年紀」が大成功でした。経済界、大学、あらゆる文化人の方々、そして、山田知事としっかりと協調して、さまざまな取組ができることをほんとうにうれしく思っています。

 先ほどの会頭の話にもありましたけれども、「知恵と力の博覧会」を何としてもみなさんのご参画によって、成功させていきたいと感じております。

 いま、立石会頭の話を聞いていまして、京都は伝統を守る。守るべきものをしっかりと守りながら、知恵をはたらかせて、新たなものを創造していく。まさにこの京都創生推進フォーラムの趣旨だなと思いながら、ちょっと思い出しました。

 せんだって京都の老舗のおみそ屋のご主人と話をしたのです。伝統の味、辛の味、おみそ。100年を超える老舗であります。

 ところが、そのご主人は、「100年前のおみそは辛い。どんどん変わっている」と。そういえば、冷蔵庫も真空パックもありませんから、塩分を効かさないと昔のおみそはもたなかった。「伝統とは、わからないように変わることや。変わらないのは素材のほんまもの。手間暇をかけ、心を込めてつくる伝統、そこからできてくる信頼。これが変わらないのだ」とおっしゃるのです。

 ほんとうに素晴らしい話だな、京都のまちの伝統を守っていただいている方というのは、常にイノベーションを起こしながら頑張っていただいています。

 私は、連日のように着物を着ています。京友禅が最盛期の出荷量の3.4パーセントなのです。西陣織が12パーセントです。世界中の方が京都の友禅、西陣織を称賛されます。しかし、もう重要文化財クラスの仕事をされる方の仕事がない。またその道具がない。こんな時代です。

 千年を超えて伝わってきた京都の文化、日本の文化がこの20、30年のことで次に伝わらなくてもいいのでしょうか。そうしたことを思うときに、やはり京都が頑張らなければとあらためて思いました。

 市長就任から500日間のあいだに、世界の国賓、公賓をたくさんお迎えしました。東京では、皇室、総理がお迎えになるのですけれども、京都に来られたら、立石会頭と、山田知事と、私どもでお迎えするのです。そのときに、世界のお客さんが京都を称賛されます。

 こんなことがありました。ブルガリアの大統領でした。非常に忙しい日程で京都に来られました。朝に来て、最後の新幹線で帰られる。その方をお送りするときに、「お忙しい中ありがとうございました。」と言いましたら、「とんでもない。初めて日本に来て東京にいたけれども、京都に来てよかったです。東京だけで帰ったら、私は日本を誤解したでしょう。」と、このようにおっしゃるのです。

 東京は日本を代表するまちではありますけれども、日本のほんまものは、日本の文化は、日本の歴史は、日本の心は、京都だなと。そうした時に、京都人が一所懸命頑張る。同時に、国において京都創生の国家戦略としての取組をさらに進めていただく。そうした働きかけも進めていきたいなと、あらためて実感しています。

 本日は、誠にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。






講演:「世界が注目する 京料理の魅力」

 京料理「菊乃井」主人 村田 吉弘 氏

<京都の技術力>

 私は外国へ行く機会が毎月のようにあり、各国でいろいろな食材に出合ったり、伝統産業を見たりしますけれども、外国のものと比べて京都のものが輝いていることを、いつも再認識しています。パリの野菜は、ただ種をまいて、どれが雑草でどれが野菜かわからないような状態で育っていますので、京野菜の種を買って向こうで植えても全然違うものに育ちます。農家の方の手間があってこその京野菜です。

 また、今の京都の伝統産業は危機的な状況です。後継者がいない。今の技術者が次に技術継承できなければ、それはもうなくなります。

 日本が、売っていくものはハードではなくソフトしかないのです。刀のつばをつくっている人がいたとします。この刀のつばはよくできた細かい細工がしてあると言っても、刀を持っている人はいないから、つばだけ売れと言っても無理です。だから、ディレクションする人と、プロデュースする人と、デザイナーがちゃんと付いて、京都を挙げて、それらのものを海外に売っていこうと思わないとだめです。

 世界中にものを売っていけるのは京都だけですから、京都ばかりに目を向けて、京都を守ろうと思っていてもだめなのです。そういう意味で、日本文化の特異性、京都人の特殊性・特異性というものを理解しないことには、創生はできないだろうなと思います。



<日本料理は、うまみ>

 京都大学の伏木亨先生が、脳の中の快感中枢を刺激して人間が食べると幸せになる、幸せになるからまた食べたくなって、食習性が出るものが三つある。油脂分と、糖分と、うまみ成分だと言っています。世界の料理が、油脂分とプロテイン(タンパク質)を中心に料理を構成しているのに対して、日本料理は、うまみを中心にして、甘味、塩味、酸味、苦味の五味をバランスよく配しています。

 うまみ成分とは、東京帝大の池田菊苗先生が100年前に発見された、昆布から出るグルタミン酸、カツオから出るイノシン酸、シイタケなどから出るグアニール酸です。それらを、だしとして料理に加えると、食べているものは野菜でも、満足中枢を刺激して、おいしいな、また食べたいなとなるわけです。

 なぜ、うまみ中心の料理になったかということですが、明治維新まで宗教上の理由で、獣類の肉食を許されなかったので、油脂分の摂取が非常に少ないのです。砂糖は、明治維新までは薬品扱いです。普通の人が、砂糖をたくさん料理に使ったり、お菓子に使うことはできなかったわけです。同じような食材しかない時期に、毎日毎日おいしいものを出さないといけない。どうやって喜んで食べてもらおうかと考えた結果、だしができたのです。

 だしのグルタミン酸とイノシン酸は、全然違うタイプのうまみ成分なのですけれども、これを一緒に口の中に入れることによって相乗作用が起こって、素材のうまみは一段と向上します。だし自体のカロリーはほとんどゼロです。だしで野菜を炊きますと、低カロリーの野菜料理ができるので、日本料理はヘルシーなのです。



<伝統を守る=革新の連続>

 最近の若手料理家たちは、カツオと昆布のだしを捨てようというふうになっています。カツオと昆布のだしを捨てても、理論上はグルタミン酸とイノシン酸で相乗が起こり、グルタミン酸とグアニール酸で相乗が起こるわけですから、べつにカツオと昆布だけに頼らなくてもいいということです。

 ちょっと前までは、だしが命と言っていました。何でもかんでもカツオと昆布のだしで炊きますと、本来の味がわからなくなってしまう。だから、野菜は野菜から取っただしで炊いたほうがいいのではないかというように変わってきています。

 野菜の中で一番グルタミン酸が多いのはトマトです。トマトの澄ましたクリアウォーターに、塩をした鳥のササミを刻んで、うしおみたいなスープをひいても、十分おいしいだしが取れるのではないかと考えてきているのが、今の日本料理です。革新の連続が、あとから見ると連綿と続く伝統になるわけです。



<日本人の世界観>

 一番肝心なのは、ものに対する考え方の違いです。料理をつくるときに、日本人は、ダイコン1本でも神からいただいたものだと考えます。これは神がおつくりになったものだから完璧なものであると、ダイコンの命をちょうだいする。「いただきます」というのは、自分の命を支えるために、そのものが落とした命を「いただきます」ということです。それがベースにあって、「もったいないがな」と言われました。

 元々が完璧なもので、それをよりおいしく食するには、いらないものは引いていったらいいのだという料理の方法です。こういう世界観を持って料理をしているのは日本人だけだし、日本人に産まれてよかったなと思います。



<自分自身のマインド>

 結局、『京都創生』というより、自分たち自身のマインドを見つめ直すという意味で、『京都人創生』としたほうがいいかもしれません。

 京都人は、夏が暑かったら門の水まき、玄関の掃除をやってきました。常に、自分よりも公共、地域ということを考えて暮らしてきたわけです。だから、1200年続いたのです。京都人が日本人本来の精神をちょっとでも持っている唯一の地域、エリアかもしれません。そういう意味では、日本創生に果たす京都の役割というのは、非常に大きいかもしれません。

 時代とともに洗練されて培ってきた日本文化は、実際に触れることで初めて理解できるものなのです。それをもっと京都人が自覚して、大切にして、守っていってほしい。

 昔どおりの生活をしろと言っているのとは違います。それらのよさをもう一度見直して、何かほかのことに使えないか。西陣織の帯も、切って底を縫ったら袋になります。袋になったら、何かを入れられます。

 というように、全員で何かできないかな、それを守らないといけないなと思ってもらったら、それが京都再生の第一歩ではないかなと思います。




パネルディスカッション

パネリスト
大野木 啓人 氏 京都造形芸術大学芸術学部長
村田 吉弘 氏 京料理「菊乃井」主人
森田 りえ子 氏 日本画家
コーディネーター
吉澤 健吉 氏 京都新聞総合研究所長

 

 



吉 澤

 今年の京都創生推進フォーラムは、京料理というテーマに沿ってディスカッションいたします。まず、京料理がいいと思うところは、どういうところですか。



森 田

 京料理は、その味はもちろんのこと、しつらえ、たたずまい、もてなしなどすべてが洗練された総合芸術だと、絵描きの端くれとして感じています。地方の一流料亭と呼ばれる有名なお店でも、ここまで完成されたもてなしを提供できるところはあまりないでしょう。京都人の都人としての誇りと知恵が、料理の中にも脈々と息づいている気がします。

 絵を描くことに専念していると、緊張などからストレスがたまったりもしますので、ときどき親しい友だちを誘って京料理屋さんへ出掛けますが、お店に入った途端に別世界で、季節を先取りした絵が床の間にかけてあったりして、すごく幸せな気持ちになります。京料理は、人の力、豊かな食材、環境、その三つが絶妙に混ざり合った、総合芸術だと思います。



大野木

 私は25年ほど店舗などのディスプレーの世界に携わりましたが、そこでの手本は、京都の実家の床の間でした。それほど、京文化はクオリティーが高い。それが、京料理全体にも言えるように思っていて、飾り付け、器の状態、置き方などをディスプレーとして見ても素晴らしい。お料理屋さんの玄関をくぐったら、そこから空間がスタートして、アプローチがあり、お座敷なりカウンターなりと、心が高揚していくようにちゃんと仕掛けてある。料理だけではなくて、お客さんをもてなす要素が、きめ細かく含まれている京都のお料理屋さんは、完成度が高いと感じます。



村 田

 僕らは、京都の町衆の、ちょっとハレの日にお手伝いをさせてもらうのが仕事です。ですから、法事もできないような高価な値段で昼食を出すような料理屋は、京都にはありません。京都人の生活リズムの中に料理屋が入ってしまって、町衆のための施設としてあるから、菊乃井さんと「さん」付けで呼んでもらえるのです。

 京都の料理屋は、みんなそういうふうに思っています。食べておいしいか、まずいかだけの仕事ではないから、しつらえも、目配りも、気配りも、いろいろ必要ですが、すべてを含めたおもてなしが京都の文化だと思います。



吉 澤

 お客さんの好みとかも、みなさんがわきまえていらっしゃるのは、すごいところですよね。日本画の世界と料理のかかわりは、どんな感じですか。



森 田

 昔から、日本画家とか、名だたる文豪、小説家という人たちは、よく仲間との交流会をするために、お料理屋さんにたいへんお世話になっています。日本画には席画というものがあって、宴席で即興の絵を描くことがあります。最近はあまりないようですが、昔のお料理屋さんと画家たちの間では、当然のようにあったことで、幸野楳嶺先生とか、竹内栖鳳先生の絵はいろいろなところで見かけます。



大野木

 今日の村田さんのお話を聞いていて、人間として幸せになるためにはどうしたらいいかということについて、ヒントがあるのは京都ぐらいしかないと思います。

 料理に限らず、あらゆる伝統的なものを受け継ぐ人たちに世界の人たちを引き合わせたり、世界に京都のよさを伝えていくことが、『京都人創生』のために必要だと思えてなりません。その方法を、京都人自らが勉強しなければならないということです。



村 田

 町衆が持つ伝統的な技術を、大学がプロデュースをして、商工会議所がディレクションし、それを市民が消費するようになっていけば、伝統産業は衰退しなくてもすむのではないですか。



大野木

 子どものときから京都のよさをちゃんと教えながら、美意識を蓄積しなければ、なかなか応用で使っていけないのです。

 そういう地場を上げていく方法論が、学校にも必要だし、一番大事なのは家庭だと思います。家庭の中で、そういうことに対してきちんとした意識付けをみんなでしていかなければいけないのです。

 これを具体的に進めていくために、あらゆるところで多様な活動をしながら啓蒙していくことを、早くシステムにしていきたいなと思います。



村 田

 学校で日本のよさを、京都のよさをもっと教えるべきです。お母さんの味を書いてもらうと、スパゲティ、ハンバーグ、カレーなど日本料理は一つもありません。今の京都の小学校では、これがおふくろの味です。よその地区と比べて全然違うのは、京都の子が昆布だけのだしを飲んで、だいたい半分以上が「わかる」と言います。よその小学校へ行ったら、3人とか2人とかです。それをフランスの大学院でやったときは、300人で3人です。

 料理というのは、あらゆる面でわかりやすい文化の方法論になります。地場の食材を生かしたものをいただく、それをいかにおいしくするかとか、一緒に食べることがコミュニケーションになるので、個食の問題について考えることもできる。料理の中には、文化を考える素材がたくさん隠されています。

 例えば一緒に食べるだけでも、コミュニケーションが起こるとか、実はものすごく大事なところがそこに隠されているように思います。本当の意味で、家庭で文化を育てていけるのかどうか、日常の中で自分たちが、芸術、文化の意識をどれだけもてるかというのがものすごく大事なのです。



吉 澤

 村田さんは、日本料理アカデミーで伝統の中に新しいものを吹き込もうと活動をされていますが、京都大学の伏木研究室で何を研究されているのですか。



村 田

 昔から延々と続いてきた料理方法が、すべて正しいとは限りません。つい5年ぐらい前に昆布は80度以上ではだしを出していないというのがわかったのです。それによって、昆布からのグルタミン酸の抽出量が3割アップしました。タコの軟らか煮をつくるときに、ダイコンを一緒に入れたらダイコンのジアスターゼでタコが軟らかくなることもありません。何でおいしくなっているかということを正確に分析して、それと同じものがつくれるという技術を集積していくことが、最も重要なことだと思っています。

 京都の伝統産業の絹の染色にしても、帯にしても、絶対ほかのものより上だと思います。ほんとうにそうなのだということを誰かが科学的に立証して、書いてほしいのです。そうしないと、常にあるものだから、京都人の誰もそう思わないのです。



大野木

 新聞にちょっと出ても、本を何冊も出しても、そのときはみんなが「なるほど」と思っていても、1週間もしたらほとんど頭の中から抜けているような状況でしょう。

 だから、いろいろな方法で、繰り返し繰り返しそういうことを教育していかなければいけないし、啓蒙しなければと思います。



森 田

 お料理を全部分析でやってしまうとおっしゃいましたが、理論だけではすまないようなものもあると思いますが。



村 田

 全部理論だけでできたら、レシピだけで料理ができますから、簡単でよろしいのですけどね。

 料理は、基本は科学でできています。だけど、食べるという行為は科学ではないですし、おいしいというのも、科学ではなかなか難しいです。

 五味の中の苦い以外は、みんな受容体が一つです。苦いというのだけは50あります。香り、におい、smellは、380。ぱりぱりとか、こりこりとかは無限にあります。だから、受容体が多いところに球を放ったほうが、おいしいものはつくりやすいのです。



大野木

 どんなに技術がなくても、下手でも、心を込めたら、うまくなりませんか。



村 田

 心は必要です。相手のため、人のために料理をつくります。それは、この人がどういう人で、どういう好みでと思わなければ、愛情がなかったらつくれないのです。



森 田

 私はいつも、その絵を見て、「ああ面白かった」とか、「ああ気持ちよかった」、「一杯飲みに行こうか」というような、ハッピーな気持ちになれるような絵が描けるように心掛けています。



大野木

 結局、思いを作品に入れ込まないと人に伝わらないので、そこから感じ取ってもらうこともできないのです。これは、絵も料理も一緒だと思います。



村 田

 それは人間力ですね。



大野木

 人間として生きていて、自分の一つの表現法としての料理とか絵があって、その方法論で人とコミュニケーションをすることで、文化が洗練されて伝統が守られていくわけです。



村 田

 その人間、生命体が持っているパワーみたいなものが、京都の人には強いのです。京都は、山の懐に抱かれているようなまちですから、まち自体に気の高まりがあるからでしょうね。



大野木

 京都という小さな地域の地場が持っている非常に強い力が人を育て、その人たちが影響し合うことによって、素晴らしいものがたくさんできている。そこをみんなが認識しながら、ここで生きていてよかった、ここでなら何かができるという機運が、もっともっと盛り上がっていってほしいですね。



吉 澤

 最後にひとことずつ、京都創生についての思いをどうぞ。



森 田

 物的資源の少ない日本にとって、もっとも有用な資源は人材です。その人材である若い人たちが、何をしたらいいのかで困っています。地場産業も後継者がいなくて困っていますから、困っているものと困っているものをうまく出会わせる場所があれば、もっと幸せになれるのではないでしょうか。産官学をつなぐコーディネーターがうまく働けば、もっと高揚した京都ができ、それが日本の高揚につながっていくのではないかという気がいたしました。



村 田

 小さいときから見てきたもの、そこにあるのがあたりまえだと思っていたようなものを一度じっと観察してください。それらがどれだけきれいで、優れたものかが再発見できると思います。今日お帰りなられたら、ご自分の奥さん、ご主人を隅から隅まで眺めてください。どんないいものかよくわかると思います。



大野木

 京都の職人さん一人一人は、凛とした哲学を持っています。とにかくいいものをつくるこんなに素晴らしい人たちが、われわれの身近なところに住んでいるのが京都なのです。それらを見つめ直し、感じ取り、自分の次の創生に、ぜひ活用していただきたい。京都に生まれた子どもたちが、京都のよさを肌で感じてもらえるような育て方を、大人たちが協力して進めていただきたいということが、切実な願いです。



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