京都創生推進フォーラム
シンポジウム「京都創生推進フォーラム」
日 時 平成22年7月22日(木) 午後2時 開演
会 場 京都コンサートホール(アンサンブルホールムラタ)



オープニング演奏 沓野 勢津子 氏(マリンバ演奏)

あいさつ 立石 義雄(京都創生推進フォーラム代表、京都商工会議所会頭)
  門川 大作(京都市長)

パネルディスカッション 「創造空間・京都の魅力と発信」
パネリスト 太田 達 氏(有職菓子御調進所「老松」主人、伝統産業コンサルタント)
  喜多 俊之 氏(プロダクトデザイナー)
  竹内 佐和子 氏(京都大学工学研究科教授、京都市産業科学技術推進委員会委員)
  濱崎 加奈子 氏(伝統文化プロデュース連代表)



主催者あいさつ


京都創生推進フォーラム代表  立石 義雄


 皆さん、こんにちは。当フォーラムの代表を仰せつかっております立石でございます。

 本日は、このように大変暑い中、多数の皆さんにご参加いただきまして、誠にありがとうございます。心より厚く御礼申し上げます。

 さて、現代の社会は、これまでの工業社会における物の豊かさを実現するための、大量生産、大量消費のための様々な社会ニーズから、これからは環境、資源、エネルギー、安心、安全、さらには健康、食料、人権と、こういった人間が生存するための持続可能な社会における心の豊かさを実現するためのさまざまな社会ニーズに対する取組が求められています。

 私は、未来の京都が、そのような新しい社会ニーズに応えて魅力あふれるまちとして永続していくためには、伝統や文化など守るべきものを守りながら、地域の資源や特徴を生かして、ほかで真似のできない独自の文化、あるいは経済、環境を創造することが大切であろうと考えております。多様な風土や伝統が息づく京都は、そんな可能性を秘めていると私は考えております。

 その京都の持つ可能性を具現化するためには、経済界、行政、あるいは府民、市民が、未来の京都のありたい姿、いわゆるビジョンを共有し、それに向かってオール京都で社会のイノベーションに取り組んでいくことが、これからの「国家戦略としての京都創生」に向けて力強い歩みとなることと確信いたしております。いま、我々に必要なのは、この日本の財産である京都の創生に向けて、未来のための改革を始めることではないかと思います。

 私ども京都商工会議所では、「知恵産業のまち・京都の推進」を基本方針に掲げまして、中小企業の皆さんが、自らの強みを生かし、持続可能な新たな社会ニーズに応える商品やサービスを生み出すことで、小さくとも元気な企業が数多く集積するまちづくりを目指しております。

 まずは経済を元気にし、そして新たな雇用を生み出し、そして消費を拡大させる。そうすることによって、まちを活性化し、新たな賑わいが形成され、心の豊かさを実現する、魅力あるまちとして存続し続けることができると考えています。

 さて、本日のシンポジウムでは、「創造空間・京都の魅力と発信」をテーマにパネルディスカッションを行います。本日、ご参加いただいた皆さんが、京都の魅力をあらためて再確認いただき、国内はもとより、世界に向けて、どのように発信し、伝え広げていくべきなのかを一緒に考え、よりよい地域社会を構築する、その足がかりにしてまいりたいと思っております。

 皆さんお一人お一人の取組が、京都の都市格向上につながり、京都創生の実現に向けての力強い一歩となりますので、本日のシンポジウムから少しでも、そのヒントを感じ取っていただければと思います。

 結びに当たりまして、本日、快くパネリストをお受けいただきました皆さまに厚く御礼申し上げますとともに、未来の京都をつくるための多様なご示唆を期待して、開会のごあいさつとさせていただきます。

 どうもありがとうございました。





市長あいさつ


京都市長  門川 大作


 皆さん、こんにちは。門川大作です。暑い中、このようにお集まりいただきまして、心から御礼申し上げます。また、代表の立石会頭をはじめ、運営委員の皆さん、ありがとうございます。

 私たちは、「国家戦略として京都創生」ということを国に対して要望しています。全国一律の建築基準法や相続税では京都を守れない。この京都の素晴らしさは、日本の、世界の財産であり、それにふさわしい法制度や特別な助成制度を整備してもらいたい。

 そのように国に要望しておりますが、何といっても、この京都創生の主人公は京都市民の皆さんや京都の関係者の皆さんであります。こうしてフォーラムに参加いただく皆さんこそが何よりの力であり、今日のシンポジウムを大いに期待いたしております。

 最近、京都に来られる方々に、「この10年、ごみが減って京都のまちは美しくなりましたね」と、おっしゃっていただきます。「世界の京都・まち美化市民総行動」に参画される方がどんどん増え、京都のまちが美しくなってきています。

 また、こんなことを最近聞きました。「京都のまちにふさわしくないなと思っていた、京都駅近くのチカチカと光るパチンコ屋の看板が撤去されましたね」。うれしいなと思いました。「新景観政策」は、いろいろな議論がありましたが、5つの条例をつくり、高さ制限、あるいは7年間の猶予期間を置いて屋上の看板は全部撤去するなど、さまざまな取組が着実に進み、京都のまちがきれいになってきました。市民の皆さんには、大変なご負担をかけることも事実でありますが、こうした取組が、京都の都市格向上につながることを確信し、力強く、ぶれることなく推進していきたいと思っています。

 そして、この素晴らしい京都の魅力を、私たち京都市民が再確認すると同時に発信していかなければならない。この間、文化団体や大学、さらに経済界の皆さんと一緒になって、様々な取組を進めてきました。

 昨年の「京都 知恵と力の博覧会」も、府市協調、経済界との協調のもと大成功しましたし、今年は、8月6日から15日まで「京の七夕事業」を開催いたします。観光業界等からも注目していただき、京都の夏の風物詩として定着するよう努力してまいります。

 そして、来年2月には、東京で京都の魅力を発信しようと、東京に進出している京都の企業等の皆さんとともに「京あるきin東京」というイベントを開催します。東京で京都の魅力を感じていただき、その方々に、ほんまもんの京都に来て守っていただこうという取組です。しっかりと推進していきたいと思います。

 また、先だって上海へ行ってまいりました。上海では2007年からALTM(アジア・ラグジュアリー・トラベル・マーケット)という世界のラグジュアリー層を対象にした旅行博と商談会が開催されています。世界の旅行関係業者など1千人が集う博覧会、商談会です。そこで京都の魅力を発信してきました。同時に、ALTMを京都で開催してほしいと誘致してきたのですが、ハードルもたくさんあるなと感じました。向こうの代表に、「四つ星、五つ星のホテルが、京都にはいくつありますか」「円高ですが、開催コストはどれぐらいかかりますか」「セキュリティーはどうなっていますか」と聞かれました。コストでは上海に太刀打ちできず、国の支援なしには実施できません。

 しかし、京都には1200年を超える京都ならではの文化の蓄積があります。宿泊施設も、100年、200年の歴史を誇る料理旅館が多言語対応し、欧米のホテル並みのセキュリティーを確保する、そんな取組がいま進んでいます。

 私は、こうした取組を,経済界をはじめオール京都で進めていかなければならないと思います。それが京都の都市格を高め、また厳しい状況にある伝統産業、伝統文化を再確認し、後継者を養成していくことにもつながると思います。

 最後に、このフォーラムが、そうした役割を果たしていただいておりますことに心から御礼申し上げますとともに、今日のフォーラムを機会に京都創生の取組がさらに前進するよう、私どもも努力しますので、引き続き、皆さん方のご支援、ご指導をよろしくお願いします。




パネルディスカッション  「創造空間・京都の魅力と発信」



パネリスト

太田 達 氏 (有職菓子御調進所「老松」主人、伝統産業コンサルタント)
喜多 俊之 氏 (プロダクトデザイナー)
竹内 佐和子 氏 (京都大学工学研究科教授、京都市産業科学技術推進委員会委員)
濱崎 加奈子 氏 (伝統文化プロデュース連代表)










濱 崎

 それでは、「創造空間・京都の魅力と発信」ということでお話を進めたいと思います。
 まず、先生方に、活動の内容や京都への提案などをお話しいただきたいと思います。



喜 多

 私は、プロダクトデザイナーとして、日常の暮らしの道具のデザイン、設計などをしております。

 伝統産業の活性化にも40年ぐらい取り組んでいるのですが、京都の町並みが失われつつある現状に心を痛めています。イタリアに長く事務所を持っていますが、イタリアは約半世紀前に、これに手を打ちました。戦後、ミラノやベネチア、ボローニャなどの都市が近代化のために壊され始めましたが、半世紀前にそれをストップしたのです。そして現在の観光立国イタリアがあります。

 また、この10年ぐらいのライフワークで、桜の季節に大阪中の島で花会というのをやっています。物の保存ではなくて、私たちの暮らしぶり、特に「ハレ」の日をもう1回再現しようと、お花見をして、そこでお茶会をしたり、近所の料理屋さんが作ってくれた花見のお弁当を食べたり、また、できたら晴着を着ようという会を毎年百人くらいの友人と楽しんでおります。



竹 内

 私は、日本の技術が文化とどう結びついているのか、日本の文化は世界でどのように新しい価値を作りだせるかという研究をやっています。今日のテーマは、「京都は日本の財産」ですが、私から見て、本当にそうだろうかというお話をさせていただきます。

  まず、日本に来る観光客の数は減少しています。パリが年間8千万人であるのに対し、日本は1千万人くらいです。京都には、お寺やお庭、それからおいしいものがありますが、見て回って美しいとか、面白いとか、食べておいしいといったレベルの観光では、十分ではないと思います。そのうえ、京都のまちを見て回るには、歩く力が必要で、高齢者の方や身体障害者の方にとってはけっこうにつらいものになっています。

 京都では、町家の再生も進んでいますが、そう簡単に手に入らない状況ですし、移住することもそう簡単でない。また、京都を深く理解しようと思っても、情報やサービスが足りないのではないかと思っています。

 一方、京都の一番大好きなところというと、京都の職人さんは、いつも切磋琢磨して働いておられて、汗を流して一生懸命、ものをつくっていらっしゃること。こういう姿には、元気づけられるし、素晴らしいと思います。ところが、そういう職人さんの働いている姿をなかなか見ることができません。こうした現場の姿が見えにくいのは、京都の魅力をうまく発信できていないからだと思います。こういったことを踏まえて、幾つか提案したいと思います。

 まず京都に二人乗りぐらいの低速の電気自動車で自由に動けるような新しい交通システムを導入してはどうかと。自転車は、若い人にはいいのですが、暑いとき、寒いときは使いにくい。自動車では駐車場がたくさん必要なので、一人か二人乗りの低速の電気自動車などが使えたらいいと思います。

 それから、京都は外交の舞台として名乗り出てはどうかと。文化を語れる外交官が少ないという現状は大きな問題です。京都には、海外の文化センターや領事館などもあり、京都に来る外交官の方もたくさんおられるでしょうから、面白い国際会議を開催するとかして、大使館や外交官の方々が顔を合わせられるような雰囲気をつくれるようにしたらいいと思います。



太 田

 京都のものづくりという立場におりまして、京都で生まれて50数年たちます。お茶(茶道)というのは、菓子を食べてお茶を飲んで終わりだということではなくて、料理を食べて、お酒を飲んで酩酊して、菓子でつないで、後席の濃茶で覚醒するという構造です。宴会で行うことが全て入っています。

 お茶と花街は宴会文化の集大成であり、京都の最高の文化を作り上げてきたものだと思います。いま花街では、舞妓さんは増えましたが、地方(じかた)さんは減り、危機的状況です。昔からのお茶屋さんも厳しい。なくしてはならない京都の美を、世界にどう発信していけばよいかを考えているところです。

 昔から多くの知識人たちが毎夜集った花街は、宴会文化を継承することで、都の伝統をしっかりと支えてきました。ただ、あまりにも独特の世界を形成してきたために、若い人たちや外国人観光客が訪れる機会を、自ら閉ざしているようにも見えます。国賓から、若者まで分け隔てなくもてなすことのできる花街といった発想も、これからは必要でしょう。



濱 崎

 私は伝統と我々自身とのつながりを回復しようと、伝統文化をプロデュースする仕事をしています。伝統的な技はいったん途切れてしまうと、もう回復することができない。そういったことを、遊びながら、学びながら広めています。

 例えば、500年前の鼓は、美術館に入ってしまうと、音色を聴くことができず、楽器としての価値が分かりません。そういった楽器の音色を聴く、また、科学的な調査をするといったことをしています。

 また、今様という、1千年前ぐらいにはとてもはやっていた芸能があります。いったん廃れてしまったのですが、その芸能を、実は近年再興した人たちがいます。ただし、非常に小さなレベルでやっているので、とてもいい活動なのに、知っている人が少ない。また、内容的にもう少し研究者の立場が入ると、もっといいものになるのではないかということで、研究者と、見る人と、する人をつないでいくような仕事をしています。

 伝統とは、ずっとそのまま変わらないものと思われるかもしれませんが、実は変化しながらつながってきているものなのです。ところが、この連綿と築かれてきた“つながり”が、ぶっつり切断されてしまっているという状況がありまして、非常に憂いております。ただ、いまならば、ほんの少し手を差し伸べることで助かるものがあるのではないかという発想で活動しており、成果をあげています。

 では、もう一度あらためて、京都の魅力はどういったところにあるのか、お伺いしたいと思います。



喜 多

 やはり千年もの間、日本の首都であった、都であったという魅力は、いまも残っているのではないかと思います。京都の人たちの暮らしの中に、千年以上続いた都の面影は、ちらちらと感じますね。これは大変な魅力だと思います。今日もイタリアから二人ほど友達が来ているのですが、京都の魅力というのは、特にそういう文化に関心のある国の人たちには、ピッと感じるものです。

 そういうことで、京都の魅力というのは、やはり時間の積み上げではないかと思います。それと四季折々の素晴らしい自然と、それから、人々の暮らし。そういったことが脈々と、まだ続いている魅力が感じられます。300年近い鎖国の中で、日本文化というのはそのときに、ちょうどおいしい酒やワイン、味噌や醤油のように、いい意味で、醸造されたと思います。その中心になったのが京都です。この醸造された文化、魅力は、そう簡単にはなくならないと思っていたのですが、最近、もしかしたらなくなってしまうかもという危機感を感じています。しかし、いまならまだ間に合いそうな気がします。



竹 内

 室町時代に足利義政など色々なリーダーがお金をふんだんに使って新しい文化のうねりをつくりました。日本のいいものが一回、ギュッと凝縮して京都に集まったという歴史があり、芸術に対する考え方、美しいものの基準が、京都という場所で形成されたという感覚が、京都を動かしているエンジンなのだと思います。これらがばねになって、いまでも京都は日本の美に対するこだわりや、ものさしの一部を提供しています。

 一方で、日本のいいものを残そうという意識は、ほかの地域に比べて圧倒的に強く、それがときには、伝統や古い格式に固執しすぎたり、あるいは新しいことに挑戦する意欲をかきたてたりする。そういう流れが、規格にはまったものや大衆的なものに距離を置いて、自分たちのこだわりを最後まで貫こうとする姿勢に出ていると思います。ただ無理がきかなくなって、衰退する傾向も顕在化しています。



太 田

 例えば、世界のお菓子の三大産地である、パリ、ウィーン、京都の大きな特徴は、住人のプライドのが高いということです。そして、常に上を目指してポジティブに行動する人が多くおられます。京都人は、あとの三都市と同様に、少し言い方は悪いですが、他よりも自分たちが中心だという思想があると思います。これが、中華思想であり、質の高い人材を育てている。これは、ある意味、京都の資産ですね。

 私がお菓子をつくるとき、1個およそ400円しかもらわないのですけれども、例えば“万葉”をテーマに創菓するということになれば、家持を追って富山まで取材に行くこともあります。そうすると原価計算をすれば、1個7千円ぐらいになると思いますが、その金額でも売りたくないという気持ちになる。京都のものって、そうやったはずなんです。西陣でも、京染屋さんでも、採算度外視の場合もある。でも、いまの経済のシステムの中では、儲からなければならないものをつくらなければならない。これはジレンマですね。

この京都人のプライドやポジティブな考え方が、いまどれだけ残っているのかが、お話を聞いていて、一つ思ったことです。



竹 内

 室町通を見ても、呉服屋さんは激減し、着物を着る方も激減しました。このままですと時間を経過すると、京都には、古い町並みだけが残っているということになりかねません。これは危機的な状況だと思います。

 いま日本で、世界の文化が集まっているのは東京です。昔は、祇園祭に象徴されるように、京都が世界の文化を引きつけ、日本の土着の文化と世界の文化を融合させていく場をつくっていました。そういう吸引力をもっと強めないと、京都は文化の中心から完全に外れて、「日本に京都があってよかった」とは、誰も言わなくなる。100年後に、本当に「日本に京都があってよかった」と言うためには、かなり大胆な手立てが必要だと感じます。



濱 崎

 海外から見て、京都はどういった存在なのでしょうか。



竹 内

 京都は、世界の文化人にはすごく人気があると思います。食の文化であるとか、作庭や、寺院建築とか。ただ、庭の研究がしたいからといって、どこで勉強すればいいかといった情報がなく、場所もない。そういう知的な好奇心の強い人から見れば京都は、かなり不親切なまちです。

 それから、高齢者が動きやすいか、疲れている人への配慮があるかどうかという点からは課題があります。バスや地下鉄などの公共交通機関以外に、新しい交通システムを取り入れて、身体障害者や高齢者の方が自由に動ける『人にやさしい』まち」という形で発信すれば、世界中から、やっぱりすごいなと評価されると思います。



喜 多

 イタリアでは京都を知っている人は少ないです。京都が発信してこなかったからです。京都の数分の1の規模であるベネチアとかフィレンツェは発信していますから、世界のどの国の人も、よく知っています。それからメディアも、テレビの番組をつくったりしますね。

 イタリアでも、じわじわと日本ブームはあって、例えば、ミラノに50ぐらいの日本レストランがあるんですが、半分ぐらいは日本人が経営しているのではないんです。「えっ。これ、日本レストランかな」というような、日本風も多いです。

 これからの日本は特に、京都の文化がそうであるように、世界で1番でないと始まらないですね。そういう1番を残しているのが京都だと思います。いまこそそれを発信する時と考えます。



濱 崎

 いいものはあるのに、発信ができていないということですね。



喜 多

 発信するディレクターがいないこともあるのですが、世界とのネットワークがなさすぎるんです。京都が、本当にいいところを発信できていないものですから、ずるずる沈んでいっているというのが、世界から見る京都ではないかなと思います。

 しかし、イタリアのファッションデザインのプロたちは、お忍びで京都に来ています。それは、京都の着物文化、染色文化、食の文化、お菓子の文化、それを見学に来るんです。

 京都は、世界の中のクリエイティブ、文化の宝庫でした。いまもそうですけれども、それを京都の方に一番大切にして頂きたいと思います。



濱 崎

 日本の産業やテクノロジーにとって、京都の役割はどういったところにあると思いますか。



竹 内

 若いリーダーに日本の価値観や伝統、あるいは歴史的な要素をしっかり教え込む、そういう場所になってほしいと思います。残念ながら、私が見ている学生も京都のことをほとんど知らないで卒業してしまいます。学生が悪いのではなくて先生が悪いんですけれども。そのくらい、大学と京都の接点が少ないという問題をもっと改善する方法があるのではないかと思います。

 それから、例えばフランスの伝統の色と、日本の伝統の色というものを考えたときに、日本の伝統色は150とか、250とか、400に分ける人もいますが、色に全部名前がついているんです。「あかね」とか、草の名前がついたものとか、たくさん色があります。フランスでも、パステルカラーとか、光をいっぱいに含んだような色が多いですが、日本も原色はもちろんですが、少し陰りのある色など、色彩のグラデーションはすごい。やはり日本人独特の感性であり、そういうものを、京都が伝えていくことが大切だと思います。

 話しは別ですが、イスタンブールで色を使って文化の違いを考えるイベントを立ち上げていまして、京都の企業の方や、テクノロジーを使って京都のカルチャーを語ってくれる人がいないかなと探しています。企業の方でも京都を語れない方がたくさんいらっしゃいますが。京都の文化性をテクノロジーを使って説明する方がそんなに多くないということも現実です。京都の文化も日本のテクノロジーと結び付けて語れる方が10人ぐらい外交官のように活動してくれれば、京都は日本の文化外交の発信拠点になれると思います。



喜 多

 日本のテクノロジーで、京都発というのはけっこう多いですよね。京都の大企業はそういった意味では基本的に伝統文化を受け継いでいるのではないかと思います。日本の、特に京都の伝統産業と言ったときに、世界の高級ブランドのどこよりも素晴らしいものを持ちながら、世界へ発信できていない。これを世界ブランドにするにはどうしたらいいのかについての研究が遅れたのではないかと思います。いまなら、まだ間に合うと思います。やはりこれをやって、これから京都の文化を背景として付加価値の高いものを世界に発信する。いま、世界ブランドをつくるプロジェクトチームをつくって取り組めば、素晴らしいバッグ、素晴らしいドレス、素晴らしい工業製品が必ずできると思います。

 特に日常の中の素敵なもの。家具もそうですが、京都発で世界ブランドは必ずできる。早くしないと、そういう伝統が途絶えてしまいます。

 イタリアの場合、成功したのは理由があります。素晴らしいものを大量生産。いいものを職人がつくったように大量生産することを研究したんです。ブランド業者のスカーフを生産する現場を見にいきますと、100メートルぐらいの印刷機がざっと筋になって並んでいます。そして、そこから、ぶわっと出てくるのは日本のブランドショップで1枚3万円で売られているスカーフなんです。京都はこういうことに乗り遅れたんです。こういったことをもう1回研究して、感性を大量生産する。安いものではなくて、いいものを。そして京都の産業に役立てていくことが重要だと思います。



濱 崎

 喜多さんは、京都の伝統産業を活性化するために、いま何が欠けていると思いますか。



喜 多

 伝統産業は、有機的な暮らし、文化の中で、育まれたものです。日本の、京都の伝統産業が衰退したのは、暮らしの中で使えなくなったからなんです。伝統産業を活性化するには、もう1回、素敵な生き生きした暮らしを取り戻すことが大切だと思います。特に人とのコミュニケーションの現場である、集いの場所というか、「ハレ」の場所。ハレ着を着ますし、よそ行きの器で食事をします。よそ行きというのが大事なんです。人生の中の舞台、「ハレ」の日をもう1回、再現する。そこで、おしゃれをして会話を楽しむ、ひとときでもいいから素敵に暮らす。これが、これからの京都のキーワードだと思います。



濱 崎

 太田さん、お菓子も「ハレ」の日の典型的なものだと思いますけれども、喜多さんの意見についてはどう思われますか。



太 田

 おっしゃったとおりで、実は京都は、平安京ができて以来、宴会で成立しているまちだと考えていただいてもいい。京都の産業は、宴会の周辺部で発達していますし、「ハレ」の日はその重要な要素です。

 それから、御所の近くに、江戸時代の京都を代表する儒学者・皆川淇園が創設した学問所である「弘道館」址に600坪ぐらいの邸宅がありまして、そこが去年の7月に売りに出て、本当にマンションになる寸前で買い取ったのですが、文化を守る、伝統を守る、産業のスキル、技術を守るというときに、いまの税体系や、土地の譲渡、相続の仕組で本当に守れるのだろうかと思います。



竹 内

 京都には、仕組を考えていくプランナーがいないのだと思います。京都が生き残るためには、新しい仕組をつくる必要があると思います。

 京都の文化を維持し、再生し、伝統技術にお金を使おうという気持ちのある方々に投資する気持ちを起こさせる仕組が必要です。例えば、そういった方々が集う京都サロンをつくって、京都以外の方にもメンバーになっていただく。そして、文化塾のように茶の湯や焼き物、伝統色の再現であるとか、そういう一連のものを勉強する機会を提供する。特別な宴会やお茶会など「ハレ」の日に、その方々を招待する。

また、世界に出ていくようなタイプの方にサロンに入っていただいて、そこで学んだ日本文化を海外で発信してもらう。そういう外交サロンを開設する必要があると思います。



喜 多

 京都には、京都ファンの外国の方がたくさん住んでいらっしゃいます。日本人が忘れた日本を、しっかりと身に付けている外国の方がたくさんいます。そういう人も入れて、コミュニティをつくられたらいいですね。そういう人たちにも仲間に入ってもらって、世界の京都をもう1回再生するみたいな会などは面白いと思います。

 京都には三つぐらい、必要なことがあるのではないかと思います。一つは、相続税の見直しですね。京都の町並みがほとんど消えたのは、半分以上は相続の問題だと思います。

 それから、子どもの教育ですね。学校や家庭で、京都の文化、日常の暮らしとしての文化をどれだけ伝承できているかを考えなければいけないと思います。

 もう一つは、千年以上も続いた都の住人であるというプライドをみんなが持つこと。これは大きな原動力になりますから、この辺をもう1回考えてもらえればいいのではと思います。



濱 崎

 次世代につないでいくということについて、具体的な策がありましたら教えていただけますか。



竹 内

 既存の教育機関とは別に、京都の伝統や文化を知り、学ぶ、もう一つの学校があってもいいのでないですか。京都の人は、塾の代わりにどこか別なところへ行って、小さいときから祭りの雅楽とか、茶の湯など、一流のことを学ぶように努力しているように見えます。これは特別な教育システムです。

 そのために、何か文化基金をつくる必要があると思います。文化基金をわれわれの手でつくって、そこで教育と継承を進めていけばいいのではないでしょうか。



太 田

 教育という意味では、学校などでお茶とか、お菓子づくりとかを教えるのですが、教室の中で週に1回、1時間やるよりも、本来菓子を食する空間である茶室に連れていって、まる一日かけて教える方がよく分かってくれます。教室の、箱の中でやっても伝わりません。

 18世紀の京都には、文化人が集まる知的サロンが多くありました。そこでは、一人で3つぐらいの学問ができなかったら通用しないくらいハイレベルの議論がされていた。皆川淇園の弘道館には、3千人ぐらい門弟がいたらしいですけれども、そこの弟子たちが19世紀になって各藩に散っていって、その弟子たちで明治維新が起こっている。こうした教育の伝統を引き継いでいきたいですね。



喜 多

 昔の経営者は文化的な生活を競い合っていましたね。いかに文化的なレベルを高くするか、その競争をし合っていた。それがいつの間にか別の競争に代わって、ゴルフのスコアがなんぼになったとか。



竹 内

 フランスのビジネスのリーダーというのは、食事のたびに文化的知識を競い合っているのです。自分はどのくらい文化にお金を使っているとか、どういうものを食べたとか、誰の作品にお金を出しているとか、音楽家は誰を応援しているとか、年がら年中言っているので、本当にやらないとまずい状況になる。それが、その企業の格を決めるという流れが、企業のビジネスにくっついています。

 これからの大きなビジネスのうねりは、テクノロジーではないです、文化ですね。近い将来、文化産業というものが最高に栄える時代が来ると思います。いまから新しい産業の流れに持っていく。文化と経済を結び付ける新しいビジネスの形を考える必要があると思います。



濱 崎

 色々とご意見をいただきましたが、お時間なので、私たち一人一人ができることがあれば、一言ずつお伝えいただきたいと思います。



喜 多

 いま、京都の文化や産業、暮らしが、世界の中でどういう位置にあるのかを、みんなが見られるようにするというか、知るようにして、即実行していかないと、もう間に合わない。



竹 内

 やはり新しいまちづくりの発想が必要で、いまはハイカルチャーをつくり出す時代ですから、それにふさわしい場所とプランとをしっかりつくっていくことが大切です。そこから、新しい京都文化を発信していけば、おそらく5年後には、かなり新しいものができると思います。



太 田

 昔、私は学生さんを、よく花街に連れて行っていたんです。そのころの学生に10何年ぶりに会ったとき、そのことが一番忘れられないと言うんです。こんなことを毎年、自腹ではできませんが、たぶん昔の先生方は、そういうことをやっていたのだと思います。ですから、こういったことを、みんなでやっていく。そして、ほんまもんの料理やお酒、お茶はどんなものかを、伝えていく。建物は本当に難しい状況になっていますが、まだこれは、できる人がいっぱいいると思います。



濱 崎

 ありがとうございます。京都は他のどこにもない、ほんとうに豊かな“創造空間”であり、魅力をたくさんもっているにもかかわらず、まさにいま何とかしなければ、それが失われてしまうという危機感を全員で共有できたと思います。みなさんで何か具体的な一歩を築いていくことができたらと思います。



Copyright©京都創生推進フォーラム,All rights reserved.