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家紋とは |
私が所属する京都紋章工芸協同組合は、“着物”に家紋を描く職人の組合のことです。京都では「紋上絵師(もんうわえし)」と呼んでおります。現在、組合員は約50名おりますが、いずれも後継者不足で悩んでおります。本日の講演会も、この技術を後世に残そうと、また、家紋を次の世代へ正確に引き継いでほしいという気持ちからお引き受けいたしました。 家紋とは何か。極端にいうと、私が考えるには、三つの意味があります。 第一に、家紋は“家”を表しているということです。家を文字で表したものは、苗字です。「中村」とか、「山本」とか、いろいろあります。家を図形であらわしたものが、家紋です。だから、家紋と苗字は一体であるといえます。 第二に、家紋は“御守”であることです。家紋を身につけることによって身体を、また、家を守っていただくという御守の要素が、非常に大事な点です。 第三に、家紋は、祖先から発信された“願い”であります。家紋はそれぞれいろんな意味があり、祖先から発信されたものを、現在、私たちが譲り受け、さらにその思いを子孫につなげていただきたいと思います。 |
家紋の歴史 |
家紋はいつごろからできたのでしょうか。いろいろな説があります。平安末期、お公家さんが、牛車や調度品に使用していた文様が、いつしか家紋に転化し、確立したという説が一般的です。牛車に模様を描いて、他と区別するためでしょうか、その家の固有の模様をつけるようになりました。その模様がだんだん転化して、公家の家紋になっていったということです。だから、公家の家紋は、だいたい優しく、きれいでみやびな草花の紋が多いようです。 それより少し遅れまして、武家の場合は、敵味方を見分ける手段に用いたというところが発生の原因です。だから最初の家紋も、丸が一つ、丸が三つ、ペケや三角と簡単・単純・明快な紋が多いようです。それが平安末期ということで、今からほぼ900年以上前に、家を表す紋「家紋」として認識され始めたということです。 次に、鎌倉時代になると、合戦もあって家紋の数が増えました。約60種類の家紋が確認されております。 そして、室町時代。各地の豪族が戦(いくさ)に馳せ参じ、入り乱れる場面になると、自分の紋をアピールする必要性から、多数の家紋が発生いたしました。当時では、約250種類の紋が記録に見えます。 戦国時代。家紋のデザインに変化があらわれます。写実的な家紋からデザイン的な家紋への変化が見られます。全体の形にとらわれない写実的なデザインから、一定の丸のスペースに収めようという傾向が顕著に伺えます。このデザイン化には大変な苦労があったと思います。 江戸時代。天下泰平。今までの戦乱の世の中が終わりまして、町民も武家もゆったりとした心になりました。家紋の使用方法も、戦(いくさ)での敵味方の区別ではなく、儀礼上、家をあらわすために、現代の会社のマークのように使われるようになりました。 町民の場合、公式には苗字が許されていませんので、正式な意味での家紋は持っていませんでしたが、お店や歌舞伎役者などはシンボルマークとして紋を使っていました。一般の町民もそのような役者さんの紋をつけてみたり、比翼紋で好きな人の紋を重ねてつくってみたりして、しゃれ紋をつかっていました。そういうわけで江戸時代には、急激に紋章の文化が花開きました。 明治以降になると、今度は一転「家紋崩壊」です。西洋のものが良くて、日本古来のものへの評価が下落しました。さらに追い討ちをかけたのが太平洋戦争です。男子は戦地へ駆り出され、各地の空襲と二度の原爆投下などで、家族自体が崩壊してしまいました。そして、敗戦後、西洋の個人主義の影響を受け、「家」の制度が崩壊。結果、今まで根づいていた家紋が途切れてしまったところも少なくないと思います 今、伝えていただいている家紋は、ひょっとしたら、一度途絶えた後、さらに新しく決めたものかもしれません。それでも現在まで脈々と続いておりますので、大切に引き継いでいただきたいと思います。 |
家紋の意義 |
みなさんのご先祖さんが、ある時、ある文様を御家の家紋に決められたわけです。それには、いくつかの理由・意義があって決まったものと思われます。これを「紋章選定のモチーフ」として6つに分けてみました。 まず一、尚美的意義。これは、牡丹や竜胆、杜若、楓などの草花・文様など、その美しさから家紋に取り入れたというもの。 二番目、指事的意義。これは武家の名字や公家の称号、町人の屋号を象徴的に暗示することを狙いとして紋章としたもの。例えば鷲尾家だったら、鷲の紋にするとか、鳥居家だったら、鳥居の紋。吉野さんだったら、桜の紋など。 三番目、瑞祥的意義。不老長寿、子孫繁栄、福徳円満等を祈念したもの。例えば、菊、鶴、亀、州浜、桐など。字面では、吉、福、万など、おめでたい意味の字もあります。 四番目、記念的意義。これは祖先の名誉や発祥の地を記念して家紋にしたというもの。那須与一が扇の的を射抜いたことを記念して、その子孫が日の丸扇を紋にしたり、南部家と秋田家の戦いで、南部家が勝ったときに、二羽の鶴が舞い降りたことを記念して、南部家は二羽の向かい鶴にしています。そういう故事来歴にのっとって家紋にしたもの。 五番目、尚武的意義。これは尚武、武芸です。弓、矢、兜、軍配団扇、そういうものを紋にしたというのが、尚武的意義です。 六番目、信仰的意義。これは縁起をかついで神様や仏様の加護を期待する紋であって、例えば天神さんの梅、八幡さんの鳩、諏訪神社の梶の葉、出雲大社の亀甲、これらを紋にして、その神様の信仰の加護を受けることを祈願したもの。大きく分けて、この6つが家紋に選んだ意義であろうかと思います。 |
家紋の種類 | ||||
家紋の種類は、全体で約350種類ほどあります。それが、さらに様々なバリエーションによって広がり、現在、墓石や文献などで確認されているものが2万4千ぐらいあります。「平安紋鑑」という紋帖がありますが、およそ4千の家紋が載っています。 家紋を基本的な種類で分けると、一番多いのは草花の紋で、100種以上あろうかと思います。二番目に多いのが、器具・道具の紋です。扇、車、矢など約100種。次いで、文様・模様の紋です。巴、鱗、亀甲など約25種類。それから自然現象の紋で、月・日・雲・雪など約15種。そのほか、動物紋。鳥居や井桁、庵などの建造物の紋。あとは仏教的な紋や、神様の紋もあります。それを合計すると約350種類あり、さらに、変化のバリエーションがあって、2万4千の数になっています。 そのバリエーションは、基本パターンが26(家紋の変化26パターン)。外郭を丸で囲んだり、星や羽などでは2つを3つにしたり、向かい合わせや抱き合わせなど並べ方を変えたり、葉脈の数を増やしたり、剣や蔓を生やしたり、上下を逆にしたり、他の紋と合体したり、形を他の紋のように擬態させたりと変化させています。家紋の種類は広がっています。 例として、皆さんご存知の徳川一門の家紋を見てみましょう。@は徳川家三つ葵で、将軍家の紋。Aはご老公でおなじみの、水戸家三つ葵。将軍家と比べると、葉脈の数が増えています。Bは、幕末、京都守護職、松平容保の会津松平家。将軍家の紋が葉の元から放射状に葉脈が広がっているのに対して、会津は、水平に葉脈が並んでいます。Cは、紀伊徳川家の分家である伊予西条藩の松平家で、外枠が四角です。
基本的に分家した場合、苗字が同じなら紋は変えてはいけない。しかし、本家を憚って、変えなくてはいけない。つまり、葵の紋を、分家したから桐にするというわけにはいかないのです。先ほどのパターンでわかるように、基本の紋は変えないで、形を変えていく。このように変化させていくので、紋の数が非常に多くなるわけです。 |
家紋は、「御守」 | |
次に、家紋は御守ということについて考えます。みなさんは、黒紋付というのを持っていらっしゃると思いますが、黒紋付は、第一礼装です。家紋は、五つ付いています。 着物に付く紋の数は、五つ、三つ、一つとあります。格式の一番高いものが五つです。だから着物に紋をつける場合は、着物の格と紋の格を合わせるのです。黒紋付、黒留袖には必ず五つ紋です。色留袖になると、黒より一段格が下るから紋の数も三つにする、そうやって紋の数を落とすわけです。色無地になると、もう一つ下るから、今度は紋の数を一つにします。 昔は、やはり19歳の厄年で、黒紋付をお母さんが娘さんに持ってやらすと。あれはなぜかと言うと、厄除けの御守です。紋を入れるということによって、御守になるのです。 それともう一つ、その着物を持って娘さんが嫁がれます。嫁ぐということは、他人の家に入ること。他人の家に入っても、お母さんは、実家の紋で娘をずっと見守っているという意味があります。 五つ紋とはどこに紋がつくか、みなさんご存じですか。背中。それと両胸、両袖の外。着物を着たときに、前、うしろ、両横、全部、紋が見えます。着ているものが、四方全部紋で囲まれている、つまり、紋に守ってもらっているのです。 背中は、一つ紋の場合でも必ず付きます。というのも、うしろは自分では見えませんからね。だから、うしろは紋によって、祖先が守ってくれているわけです。 古来、日本は、悪霊は人間をうしろから襲うといわれまして、必ずうしろから来るのです。いい例として、お子さんが生まれたら、30日ぐらいで氏神様に宮参りに行きますね。今はやや廃れたかもしれませんが、昔は初着を着せるときに、背中に縫い飾りや御守をつけたりしました。七五三の子には絶対にしません。するのは宮参りの子だけです。 なぜかというと、宮参りの場合は一つ身といいまして、一枚の着物で身丈を取ります。七五三から上は、大人になったら、これはもう四つ身と言って、真ん中を縫って、背で縫います。縫うということは結界をはることであって、そこを糸で締めているから悪魔は入らないと。一つ身だから、縫っていないから、わざわざ縫い飾りを入れて結界をつくって、魔の進入を防いでいるのです。 それともう一つ、巴という紋をご存じですか。これも御守として使われる面が大変多いのです。先ほども出ましたけれども、三つ巴(左図)。これは神社・仏閣にものすごく多い紋です。これは不思議なことに、何が紋のモチーフになったのか、今も全くわからないという紋です。 一つは、「巴」という字は、蛇の象形文字で蛇を表し、トグロを巻いている白蛇様で、神様の使いであるということで、神社にすごく多いのです。京都の八坂神社、祇園さんでも、この紋と、五瓜に唐花が比翼紋(ふたつの紋が並び重なっている)のようになっています。 それともう一つは、屋根瓦の前のところについているのを見かけませんか。これはなぜでしょうか。この場合の巴は水の渦巻きを表しています。水の渦巻きを瓦につけることによって、火除けの御守になっているのです。だから、その家の家紋が巴紋でなくても、瓦に巴紋を使っているわけです。このように紋というのは、御守という面でも、とても重要であるわけです。 |
家紋は「祖先からの願い」 |
家紋は、祖先から子孫への願いという話もあります。天神様の梅、阿蘇神社の鷹の羽など、神様に関する紋だったら、その信仰を子孫に伝えたいと願って付けている場合もあります。 寒冷地へ行くと、蔦紋がとても多いのです。なぜ蔦が多いかというと、蔦は地を這ってはびこり、繁殖力がすごく高いということで、子孫繁栄を願って付けられています。 将軍徳川吉宗も替紋(かえもん)として、この蔦をつけていました。これは、徳川一族の繁栄、勢力の繁栄を願っています。 それと江戸時代は、遊女の間でも蔦がはやりました。名前もお蔦さんとか、着物も蔦の模様が入っていたり。遊女になぜ蔦なのか。これは、蔦が蔓を伸ばし、さらに、蔓で客に絡みついて、客を離さないようにしたい、そういう願いから、この紋を用いました。 このように紋には、それぞれ意味があり、紋の持つ意味を子孫に伝えたり、紋をつけることによって、願いをかなえたいというものが多いです。ちなみに、願い事ベスト3は、@子孫繁栄、A神仏の加護、B戦に勝ちたい、です。 |