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趣旨説明 |
「国家戦略としての京都創生」の取組について |
京都市総合企画局政策企画室 京都創生推進部長 皆様こんにちは。ただ今ご紹介頂きました京都創生推進部長の西野でございます。本日は第16回目の京都創生連続セミナーを開催いたしましたところ、たくさんの皆様にご参加いただき、誠にありがとうございます。 さて、皆様もご存知のとおり、京都が持つ四季折々の美しい自然景観や、そこに溶け合う寺院、神社、そして京町家などの町並み、さらにはこのような風土に受け継がれ、磨き上げられてきた伝統文化などは、国内外の多くの人々から愛され高い評価を受けています。 世界の宝、日本の貴重な財産である歴史都市・京都を守り、育て、そして未来へ引き継いでいくため、京都市では、市民の皆様とともに「景観」・「文化」・「観光」の分野を中心に、全国に先駆け様々な挑戦的な取組を進めています。 例えば、景観では、平成19年から市民の皆様の多大なご協力をいただきながら、全国で最も厳しいと言われる建築物の高さ規制や、眺望景観の保全などの「新景観政策」を実施しています。また文化では、市内14箇所の世界遺産をはじめ、全国の約19%が集まる国宝、約15%が集まる重要文化財など、歴史的・文化的資産の保存・継承、さらに観光では、国際会議の誘致などに積極的に取り組んでいます。 幾世代にもわたり京都に蓄積された日本の歴史・文化、これらが織り成す景観、日本の心を、しっかりと次の世代に引き継いでいくことは、京都に住む私たちの使命です。しかし、京都のみの努力では解決できない課題も数多くあります。 景観と文化の保護 まず「景観」についてです。京都らしい風情を醸し出す京町家は、現在、約48,000軒残っていますが、相続税や維持管理の問題等で継承が困難なため、毎年約2%が消失しています。そこで京町家を守るため、京都市は平成17年に独自の制度として「京町家まちづくりファンド」を設け改修にかかる費用を助成していますが、京都市だけでできることには限界があります。 例えば、法律等の制度の問題です。京町家は建築基準法が制定される以前に建てられており、建築基準法で定められた基準に必ずしも適合していません。この基準に合わせて改築を行うと、今ある京町家をそのままの姿で残すことができなくなります。さらに電柱のない美しい町並み景観を作り出す無電柱化も、1km当たり約7億円という巨額の費用負担が必要です。 一方、「文化」についても、伝統文化や伝統芸能、伝統産業など、京都には他の都市にはない独自のものが受け継がれていますが、後継者不足などの理由から危機的な状況にあるものも少なくありません。このように日本の景観と文化の原点ともいえる京都の景観・文化は、所有者や担い手だけに任せていたのではなかなか守りきれない面があり、一刻の猶予も許されない状況にあります。これらを保全・再生するためには、国による支援が何としても必要となっています。 国家戦略としての京都創生 そこで「国家戦略としての京都創生」です。 京都市は平成15年、梅原猛先生に座長をお願いをしました京都創生懇談会から、「国家戦略としての京都創生の提言」を受けました。この提言を受けて、「国家戦略としての京都創生」の実現に向け「国への働きかけ」、京都創生推進フォーラムを核とした「市民の自主的な活動を支援する取組」、「京都創生のPR活動」の3つを柱に取組を進めています。特に、国に対しては、国の予算編成時期などを中心に、国が主体的に制度的・財政的な特別措置を講じるよう提案・要望を行っています。また、国の関係省庁や有識者の方々と京都市職員とで構成する「日本の京都」研究会を設置し、国家レベルでの京都の役割や活用方策の研究を進めています。これまで、これらの取組を通して、提案・要望内容のいくつかは既に実を結んでおり、成果は着々と挙がっています。 まず景観の分野では、平成19年度に景観法に基づき新設された制度を活用し、指定を受けた京町家などの改修を行っています。さらに平成20年度には、歴史まちづくり法が制定されるとともに、この法律を推進するための新たな制度を活用し、歴史的建造物の改修、無電柱化、道路の美装化を推進しています。 文化の分野では、京都市内をはじめ、文化財が多数現存している関西に文化庁の窓口が必要であると考え、文化庁の関西分室の京都設置を国に対して働き掛けてまいりました。この結果、京都国立博物館内に「関西元気文化圏推進・連携支援室」が設置されるという形で実現致しました。また、市が所有・管理している二条城では、国の補助制度を活用し、二の丸御殿、本丸御殿等の本格修理に向けた調査工事や障壁画の保存修理を実施しています。二条城の本格修理には多額の費用がかかります。そのため京都市では、財源を確保するため「二条城一口城主募金」というものを作り、多くの皆様に広くご協力をお願いしています。 さらに文化財防災の面でも、新設された補助制度を活用し、清水寺やその周辺の文化財、地域を火災から守るため、高台寺公園地下と清水寺境内の2箇所に25メートルのプール5つ分に相当する耐震型防火水槽や、法観寺境内に文化財延焼防止放水システムを整備しました。 観光の分野では、今年1月から、観光庁と本市が外国人観光客誘致の活動や受入環境の充実などに取り組むための共同プロジェクトとして、「観光立国・日本 京都拠点」を実施しています。これは国内の一観光地域にとどまらず、日本を代表する国際的な観光地として、また、観光をプロモーションする際のコンテンツとして大きな役割を担っている京都を、世界トップ水準の外国人観光客の受入態勢を整えることで、全国のモデルとしようとするものです。この取組を通し、政府が目指す観光立国に向け、牽引的な役割を京都が果たしていきたいと考えています。 この他にも、一昨年、ニューヨークで実施した「京都創生海外発信プロジェクト」の成果として、世界の歴史的建造物などの文化遺産の保護・保全活動を行っているワールド・モニュメント財団から、京町家を改修し活用する「京町家再生プロジェクト」に対し、総額25万ドルの支援を受けました。また、先月、「京町家」の歴史的な重要性や暮らしの文化が評価され 、「京町家群」が 2010年版に引き続き2回連続して保存・修復が必要な文化遺産としてリストアップされることが発表され、これにより、広く世界に向け「京町家」の持つ文化的価値やその保全・再生の必要性が情報発信されることとなりました。 京都創生推進フォーラム 「国家戦略としての京都創生」の取組により、国において景観や歴史まちづくりに関わる新たな法律や補助制度が創設され、京都の歴史的景観の保全・再生や文化財の保存・継承の取組に大きな効果をもたらすとともに、全国の自治体で進められている歴史・文化を活かしたまちづくりを牽引するという役割をも果たしています。ここに意味があると考えています。 「京都創生」の取組は、国に求めるだけではなく、京都の団体や企業、市民の皆様と京都市が手を携えて進めなければなりません。そのため、「京都創生推進フォーラム」を中心として、京都創生の取組の周知や市民の皆様の自主的な活動を支援し、京都創生推進の機運の醸成を図っています。 本年2月には初めて、首都圏における京都創生PR事業「京あるきin東京」を、京都ゆかりの99の企業・団体・大学の皆様に参画いただき開催し、京都の魅力を発信する50の事業を集中的に展開しました。この催しはマスコミにも多く取り上げていただき、改めて京都の底力を実感いたしました。 今後も京都の持つ「強み」を最大限に活かし都市の魅力を更に高めることにより、京都から日本全体を牽引し、日本を元気にしていくという気概を持ち、百年後、千年後も「日本に、京都があってよかった。」「世界に、京都があってよかった。」と実感していただけるように、更に取組を進めて参りたいと思います。皆様方の一層のご支援と、ご理解・ご協力をお願い申し上げまして、京都創生の取組報告を終了させていただきます。 |
講 演 |
『京菓子のこころ〜都のくらしと伝統文化〜』 | |
贈答品として重宝されてきたお菓子 この頃はお菓子というものが、「かわいい」、「甘くないからおいしい」の二つになってしまっていますが、お菓子というものは口だけで感じるものではありません。お菓子は五感の文化と言われていますが、私はそういった本能的なものではなく、もっと人間が長い歴史のなかで学んできたこと、育ててきたことが活きているのがお菓子だと思っています。 京都には、和菓子屋は「お菓子屋はん」、「おまん屋はん」、「お餅屋はん」の三つがあります。店先に、おはぎ、水無月、栗餅などと紙に書いて貼って売っているお店は、基本的には「お菓子屋はん」の分野ではありません。それは「おまん屋はん」の分野であります。私のような「お菓子屋はん」は、おもてなしのためのお菓子、贈答用のお菓子をつくっています。つまり、「お菓子屋はん」のお菓子は、自分が食べて「おいしかった」で終わってしまう世界ではなく、相手があって初めて価値がある世界なのです。 また京都は昔からブランド志向が強く、非常にプライドも持っています。だから店名というものをお客さんは強く求めます。そのため、「うちはおじいちゃんの代からここのお菓子を使っている」という言葉もよく聞きます。おいしいかどうか以外にもこういった部分にも意味合いがあることを知っておいて欲しいと思います。 ではなぜ菓子屋の菓子が贈答品として価値があるのでしょうか。元々、和菓子に使われる砂糖は輸入品であり、出島を通して日本に入ってきていました。だから砂糖には価値があり、使うのを非常に制限していました。京都においては、砂糖は特権階級であるお公家さんを中心としたものでした。つまり、砂糖を使用している菓子はそれ自体が非常に価値のあるものだったのです。 そういったなかで、輸入品の白い砂糖を使ったお菓子をつくることができたのは、公家の御用をする「御菓子司」に限られていました。最近では洋菓子司というように、「司」という字を何にでも使用していますが、本来はお公家さんの家来となり輸入した砂糖を使う権利をもらった菓子屋が使用するものです。だから菓子屋というのは、公家から砂糖を買う、使うといった権利をもらってつくらせてもらっている側なのです。つくって売ってあげているという世界ではありません。そこに京都のお菓子の面白さがあります。 みやびな公家文化を継承 かつては甘い菓子を食べることができたのは、お公家さんと、それにつながるお寺と神社、そこに出入りする商人などの富裕層の人たちでした。だからお菓子というものは、色や形にいたるまで、全て公家文化の影響を受けているのです。甘いお菓子というものは、桃山時代から幕末まで、そう簡単に誰もが買えるものではなかったからこそ、もてなしになり、贈答品として価値があるものだったのです。今のようにお菓子に庶民性が生まれてくるのは非常に新しいことなのです。本当に庶民性を持ってくるのは戦後になってからかもしれません。それまでは、丁稚が朝、自転車に乗って見本箱を持ち、なじみのお客さんのところへ注文を取りにまわっていたのです。そういう人たちがお客さんであって、店に買いにくる人は非常に少なかったのです。お菓子を買うお客さんは「今日は来客がある予定なので、何個買っておこう。」と注文し、残った場合には、子供たちが食べられたのです。つまり、子供たちにとってもお菓子はひとつ別の世界であったのです。 この「御菓子司」は江戸時代京都に248軒もありましたが、この時代から続いているお店は、今はほとんどありません。現存する京都の「お菓子屋はん」は、本家からのれん分けをして別家となりお菓子をつくり続けているお店がほとんどです。 最近は贈答品としてのお菓子の価値が少なくなってきました。昔は菓子折りに入った「お干菓子」というものは高い評価を受けていました。この頃は菓子折りをもらっても、もらった人に使い道がないのです。お客さんを迎える設備が京都からなくなってしまいました。人々の暮らし方が変わり、暮らしのめりはりがなくなり、年中行事というものが完全に忘れ去られてしまいました。 今は年中行事があったとしても、観光事業として行われるようになっています。言い換えれば、京都がアミューズメントパーク化してしまい、本当の京都の暮らしがなくなってしまっています。今の京都はよその人が考えた京都になってしまい、本当の京都人はみんな後ろを向いてしまっています。そのような本当の部分が表へ出てこないため、舞妓さんの格好をして歩きたがる人が増えるだけで、お菓子も含めた本当の京都の深い魅力が来訪者に味わってもらえていません。 京都のお菓子は、京都が生み出してきた文化そのものです。それを理解するためには、非常に広いものを知っておく必要があります。だだ「おいしい」ということだけではなく、もっとこころの広がりを生む世界なのです。京都のお菓子が十分理解されていないことは、本当にもったいないことだと私は思います。 季節感と色合いを大切に お菓子は、お茶を立てて食べるということが基本です。ではなぜお茶とお菓子が結びつくのでしょうか。お茶の基本は「もてなし」であります。ただ喉が渇いたので飲むというものではなく、いかにして相手を立てるのかがお茶の世界です。そのために色々なしつらえがあり、装置があり、その中に客人を迎え、いかに楽しませるか。その中に甘い砂糖を使ったお菓子が組み込まれているのが、お茶のお菓子なのです。お茶もお菓子も、どちらも「もてなし」なのです。 お菓子はひとつの貴族文化でした。貴族世界のなかで中心になるのは和歌ですが、和歌ではいかに季節を使って自分の心を表現するのかが重要となるのと同様に、お菓子についても季節感を非常に大事にしてきました。今、日本人が知っているなかで最も季節感が豊かなのが京都のお菓子です。 「唐錦」というお菓子があります。これは"移ろい"を表現したお菓子です。単に春・夏・秋・冬ではなく、移っていく姿を微妙に扱うところに京菓子の良さがあります。それを生み出すためには、京都の風土、それが生み出す季節感というものを知らなければいけません。それともう一つは「二十四節気」です。このごろはカレンダーも数字だけが並んでいるものが多く「二十四節気」というものが忘れられています。本来、暦というものは季節を感じ、それを知るための道具なのです。 他に、私たちが非常に大事にしているものとして、「歳時記」があります。京都ではお菓子の名前も季節感を非常に大切にしています。使う人のメッセージを伝えるために銘というものが非常に大事なのですが、その銘も「歳時記」から取ってきています。「歳時記」は俳句をされている方にはなくてはならない本ですが、「お菓子屋はん」にも俳句をつくっていた人は多かったのです。たったひとつのお菓子に、どれだけ広い世界を盛り込めるかというのは、やはり銘の力です。名前から想像する世界が大事なのです。京都にはそういう世界があるのです。そのためには「万葉集」から「サラダ記念日」とまでは言いませんが、「百人一首」位は覚えなくても、せめて知っておいて欲しいものです。それだけでも十分想像力が広がるのです。この頃はカタカナ言葉が流行っていますが、京都こそ、もっと言葉を選んで使いたいと考えています。 その他に京都独特の色使いがあります。「きんとん」というお菓子があります。基本的には何を表現しているのかはかわりません。ただ色が二三色ついているだけです。しかし、その色の組み合わせだけで表現をしています。その色の組み合わせは平安時代の十二単と同じ「重ね」の色目です。季節によって色の組み合わせが変わります。そして、それに銘が加わることにより、わかりやすくなるのです。そういう色と都の文化がわかれば、よりお菓子の面白さがわかります。単なるお菓子と思われるかもしれませんが、京都の公家たちが扱ってきた文化が一杯ちりばめられているということも是非意識して欲しいと思います。 日本の文化、京都の文化には、公家文化に底があるものが非常に多いと思いますが、京都の人たちがみんな公家であったわけではありません。しかし、京都は狭いまちです。公家たちがどんなことをしているか、すべて見えるのです。そこに対して憧れを持つということが、京都の文化の基本であると思います。「ちょっと真似したろか」という気持ちが、京都の文化を洗練し、さらに上へとあげてきたのだと私は思います。 想像力にあふれた京菓子の魅力 お菓子をいただくときは、クロモジという木からつくられたようじ一本を使います。私たちはお客さんが、ようじ一本でどのようにして上手に食べていただけるか、おいしく食べていただけるかを考えてつくらなくてはいけません。京都のお菓子はその考えを基本に形をつくっています。 もう一つは「みやび」を表現する形です。自分の技術をみせるために、いかに本物そっくりにつくるかということに一生懸命になっている菓子屋は多くありますが、決して写実的にはならないのが京都のお菓子の特徴であります。これには、琳派、尾形光琳の影響を強く受けています。恐らく京都の貴族社会は琳派の絵を非常に愛好したはずです。そして貴族社会の影響を受け、庶民も好むようになったのです。私も菓子にとって琳派の世界は理想の形であると思います。光琳菊といって、丸描いてちょんというのが京都では「よろしおすな」と言ってもらえます。 しかし東京、江戸へ行くとそうではありません。私は、江戸の文化は写実性だろうと思います。浮世絵でもそうですが、京都のように余白を楽しむという悠長なことはありません。お菓子も写実的につくらないと理解されません。これは風土というか、住んでいる人の感覚の問題であろうと思いますが、京都では「らしく見せる」ということに非常に力を注いでいるのです。大雑把に見せる、抽象的、象徴的に見せるということが非常に大事なのです。お菓子は想像力の世界です。桜ひとつとっても、名前が「吉野山」といったら、桜がいっぱい咲いているのを想像しないといけないのです。そのためには、そういう抽象的、象徴的なものを感じてもらえる仕掛けをしておかなければなりませんし、普段からそういう世界を知っておかないとすぐには理解できません。 また、「見立てる」という世界もあります。これはそれに見るのだと。それはお茶の世界にもありますが、お菓子というものの文化であろうと思います。「うぐいす餅」がそうです。なぜあんな形をうぐいすに見るのか。しかし、あれはそういう約束でみんなが見て、「ふんふん」と言っている世界なのです。京都ではお茶とお菓子が結びついているからでしょうが、きれいにつくり過ぎたら客がついて来てくれません。「ええ加減さ」が必要なのです。それは悪い意味でのええ加減ではなく、「余裕」、「含む」といいますか、食べる人の想像力を広めさせるものが必要であるという意味です。つまり、見せすぎては駄目だということです。 京都人は、なんとなく揺らぎがあってこそ面白く感じるのです。だから京都のお菓子は機械化を嫌っているのではないかと私は思います。ひとつずつ違うということの面白さが発揮されるから、手作りというものの面白さ、楽しさがあるのです。そこに京都のお菓子の本当の良さがあるのです。 さらに素材です。日本のお菓子で今、京都のお菓子が一番素材を守っていると思います。素材にも季節感というものがあり、例えば、「くず」は夏にしか使用しません。「くず」は5月の末から9月の初めくらいまでです。透明感のあるようなものはやはり暑いときのお菓子です。また今日、お菓子はあんに塩を入れるのが普通となっていますが、京都ではお菓子屋が塩をあんにいれることは絶対にしません。京都では塩味は、お菓子のなかで非常に嫌うものなのです。 もてなしの奥義を極めた京菓子 お菓子は「もてなし」であり、相手が存在することを前提としています。私たちはお客さんから注文を受け、それに応えてお菓子をつくります。しかし、お客さんが食べるためにつくるのとは違います。その人が迎えるお客さんにそのお菓子が出され、そのお客さんがどう反応するのか。そこに意味があるのです。それによってはじめてお菓子という世界が成立するのです。京都というのは実に狭いまちです。お菓子の評判が私の耳に入ってくることも頻繁にあります。非常に難しい商売なのです。お客さんの顔も見えないといけませんが、迎えるお客さんの顔も見えている方が良いのです。そして迎えるお客さんに喜んでもらわないと駄目だということを是非知っておいてください。これは京都というまちの狭さの良さだとも私は思います。 客人としてお菓子を食べるときは、自分でこれはなんだろうと考えてみてください。特にお茶会に行かれたら、懐紙にお菓子を載せて絵を感じ見てください。お干菓子を食べる際でも、どこへどう置けば絵になるのか考えてみてください。それがお菓子の楽しみ方なのです。食べて「おいしい」だけではなく、目から何を感じ取るかが非常に大切です。もう一つ大事なことは、お客として銘を聞いてみるということです。自分がわからないときは、「今日のお菓子のお名前は」と聞いてみてください。それにより、自分が相手にどうもてなされているのかがわかるのです。主人が来てくれた人をもてなそうと色々、「こころ」を使っているということを感じて欲しいのです。 お菓子を通して、菓子屋とお客さんとつながり、そしてまた迎える相手ともつながっていく、これが京都のお菓子です。スイーツの世界とは全く違うのです。 日本のお菓子は、今ものすごく難しい時代です。やはり、スイーツの世界との違いをしっかりと理解していただかないといけません。京都のお菓子にはいろいろな仕掛けがあるのだということ、そして、お客さんと菓子屋の間でお菓子が出来上がり、それが使われ、食べるお客さんともお菓子を通してつながりができるということをぜひ覚えておいてください。また、是非そのようにしてお菓子を使ってください。お菓子が売れるのはうれしいことなのですが、やはりそこまで知ってもらってこそ、本当のお菓子の値打ちがあるのです。私からあまり偉そうなことは言えませんが、やはり口で食べるだけでなく、是非楽しんでください。 以上をお願いして、ちょうど時間です。どうもありがとうございました。 |