講演:「ブラウン管の裏から見た京都」 | |
山 本 | もっと言うと、テレビっていうのはそれじゃどんなシステムで出されてるんですかと。これだけ広汎な膨大な情報をばら撒くわけですから。ところが日本のテレビっていうのは、これは皆さん知っておかれるといいんですが、例えばアメリカなんかはABCとかCBSとかNBCとか、3大ネットワークって言ってますよね、まあネットワーク組んでることは間違いないんです。全米でネットを組んでニュース番組を流している。でも発生的にはね、アメリカのテレビっていうのはあれだけ広大なところですから都市単位に生まれていったんですね。郡単位とか。そういうものがネットを組んでいって平等にネットを組んでいって最終的にABCならABCが全米でのキー的な役割を果たすようになってるんですが、いわばまあ放送そのものは地方分権なんです。ところが日本は全く違うんです、これは。日本の放送界っていうのはテレビ放送だけについて言いますと、最初から郵政の中央集権的な指導の下に、東京に5つのキー局っていうのができました。それで、大阪あたりに準キー局。それで各県で順次何年間かかけて2、3の放送局を置くようにした。それは全部中央の指導と法的な規制によってできてますから、実はみごとに民放の今のネットワークっていうのは中央集権になってるんです。キー局を何が牛耳ってるかっていうと、もう一つ古い世代のメディアである新聞社がそれぞれついている、こういう構造になってるんですね。だからフジテレビっていうのは、これはフジサンケイグループってよく言いますが産経新聞なんです。TBSが毎日、朝日新聞は朝日放送。そういうふうに新聞社、全国紙、全国紙そのものがアメリカには既に無いですからね。日本の特徴である全国紙が、キーステーションを作って、その下に各府県に全部放送局を置いて、中央のキー局が作った番組を配信していくわけです。それで、地方の局は、KBS京都は独立局ですからそういうネットに入っていないんですね。地方の局はキー局が製作した放送出す時に補助金をキー局からもらうんです。それとスポンサー料金で成り立っている。中央集権化してしまうんですね、全ての価値観、スタンダードって言いますか。NHKも同じなんです。NHKもやっぱり東京にあってそれで大阪みたいな拠点局っていうのがあって、それで京都放送局みたいな大きな局から小さな局まで放送局があるという構造になってるんです。ここ20年ぐらいじゃないでしょうかね、そういう強力なメディアとしてテレビっていうのが出来上がっていく過程の中でやっぱり一定の東京の価値観みたいなものが日本全国を覆い尽くしていったっていうようなプロセスが僕はあるんじゃないかと思います。それがどこへ行っても「同じ」という感じになってる。そういう意味で、一番抵抗しているのは京都と沖縄です。今日の結論の一つなんですが、さっきの梶田さんの話にここでつながるんですけど、京都っていうのは偉大な地方、地域だと思ってるんです。偉大な地方である。それは、生活のレベルにまで全部つながっていくんですが、もうちょっと大きな目で見ると、京都っていうのはやっぱりひとつの僕はものすごい偉大な地域だと思うんです。だから「京都は地方だ」って言われると頭に来るっていうのは僕、間違いだと思ってる。地域性を大事にしてるところが現実に今、日本の中で元気がありますね。芸能界見たって分かるんじゃないですか。今、元気のあるタレントってみんな沖縄出身ですよ。今度の大河ドラマの主役をやる仲間由紀恵さんもゴルフの宮里藍ちゃんもそうだし。沖縄の人は元気ですよ。沖縄だけがまだ沖縄だけの生活、沖縄の言葉、沖縄の宗教、みんな沖縄の魚の食べ方、豚の料理の仕方も含めて頑固に守ってる。だから彼らはそういう価値を自分たちの中に見つけ出してるんだと思います。それが沖縄全体の馬力になってきている。 祇園祭は祇園祭で室町の町衆が支えているわけですし、町々に地蔵盆がある。地蔵盆って京都の人は普通にあると思ってるんですけれど、京都以外の地域に行くとないです。大阪もないですね。僕も、四国今治ですけれど、まあ地蔵盆自体がもともとあそこにはなかった感じがしますが、地域の祭りなんかもう壊滅してます。だから今京都の街角でまだ、まあ子供はあんまりありがたがらないにしても、我々や我々の息子の世代がどうやって引き継いでいくかっていうのは大事なことだと思います。 伝統を守る頑固さっていうのはものすごい必要なものだと思います。僕の、知ってる頑固の典型はミュージカルの『屋根の上のバイオリン弾き』ってあるでしょう。ユダヤの家族です。ユダヤの家族でロシアに住んでて、ロシア人からものすごい迫害を受けるわけです。で、家族が寄り添うようにして生きてるんですが、その家の親父がテビエ爺さんで、彼らがロシア人から迫害を受けたときにテビエ爺さんがいつも叫ぶんです、自分たちの家族を守るのは何やって言うと、「しきたりだ!」って彼は叫ぶんです。しきたりっていうのは結局、最終的にはこの場合宗教に結びついていくわけです、ユダヤ教に。でもね、これはもう文化です、僕に言わせると。文化っていうのは、しきたりっていうのは色んな悪い意味もあるんだけど、文化の非常に大きな要素だと思います。日本が今子供の事件とか起きてるのは、やっぱりひとつはしきたりが崩壊してるんだと。良い意味で頑固に親父やら爺さんがしきたりを今こそ叫ばなきゃいけない。そういう感じがするんですが、ちょっと話はずれますが。そういうことも含めて京都は非常にすぐれたしきたり、文化が保存されてる町じゃないかなと思います。 マスコミ、出版界も含めて困った時の京都特集っていうぐらいですが、今、観光客が4600万来たっていうのはすごいですね。一時、3000万人台まで沈んだんじゃないですか。4600万まで市長さんの掛け声で来たっていうのは全くすごいことだと思うんですが、確かに、京都はそういう意味じゃもう魅力的なものの宝庫なんですよ。我々マスメディア、出版とか放送とかその辺に携わってるものにとっても。だって、京都チャンネルってあるんですよ。CSテレビでね。これは関西テレビ系ですね。関西テレビ系統が経営して1日中、京都情報流してるんです。そういうチャンネルがビジネスとして成立してるんですよ。お金がもうかる、見る人がいっぱいいるんです日本中に。それから去年から話題を賑わしてる京都検定。1万3千人も京都検定を受けてる。ここにもいらっしゃる方2人ぐらいさっき「京都検定受けて2級すべった」とか言ってましたけども、例えば福岡検定とか青森検定やったって誰も来ません。で、もっとすごいのは受けるのが京都人だけかっていうとそうじゃなくて東京の連中がものすごい興味示すんです。京都情報。井戸端会議じゃないけども、彼ら、彼女ら、特に彼女らが東京のお茶の時間に京都のことたくさん知ってるっていうのは一種のステイタスです。京都へ何回行ったとかね。だから京都検定はね、東京の方がものすごくたくさん受けてます。京都の方はもちろんタクシーの運転手さんだとか実利的なんですけども、向こうは全く趣味です。ついでに余談ですが僕は大阪で文化センターってカルチャースクールやってまして、去年すぐに文化センターで京都検定受験クラスっていうの作ったんです。そしたら、集まりましたよ、大阪でも。去年は50人ぐらい集まったんです。で、今年も二兎追ったんですが25人、半減ぐらいしたかな、30人足らずになって、少し大阪では落ち目になったんですが、京都東京ではいまだにすごい。ということで本当に京都って言うのはマスコミなんかにとってはね、垂涎の地なんですよ。 だから先ほど言いましたように放送局っていうのはこういうヒエラルキーでできてるんですが、京都放送局っていうのはちっぽけな放送局なんですよ、実は160人ぐらいの。関西でいうと大阪放送局がでかいですよね。NHKは東京に本部があって、大阪とか名古屋っていういわゆる近畿とか中部とかそれぞれに拠点局みたいなものがある。ところが京都放送局は一介の放送局にすぎないんですけれども、全国放送番組をたくさん制作する放送局なんです。普通の大津放送局は大津のローカルニュースしかやってないんです。奈良もそうです。ところが、京都放送局は160人ぐらいですけれど、いわゆる番組制作量はものすごく多くて、今言いましたように『趣味悠々』見ていただいていると思いますが、『趣味悠々』のお茶でありますとかお花でありますとか、それからこの間は嵯峨野の大河内山荘から紅葉中継やったり、あるいは『京都上がる下がる』だとか、そういう全国放送を制作する局なんですね。ですから、京都放送局長はえらいんですよ、全国のNHK放送局長の中でも。ほんとに尊敬されるんです。やっぱり文化と、それから先端技術のまち京都の代表という意味で尊敬される。放送局のなかでもそういう特別な位置付けがなされています。それで、地域放送は全体の放送の30%ぐらいですね。情報番組でも地域で作る地域情報番組とか東京で作る情報番組とかいろいろあるんですけれども、とにかく圧倒的なパワーが京都放送局にいまだに維持されてるっていうのはやっぱり京都の持ってる奥深さだというふうに思います。例えば、何か事件、事故がありますね。で、急遽番組作らなあかんと、解説番組、討論番組。そうすると、例えば夕方の5時に事件があって8時に4人ぐらいの専門家で座談会を開きましょうという時に、人材が集まるのは僕は京都と東京だと思ってます。京都と東京しかない、逆に言うと。それほど京都はやっぱり一つのテーマについてきっちり語れるような人材が手近にいっぱいいます。だって京都放送局から高々30分タクシーで走れば全部回れる。東京はもっと時間かかります。要するに優れた人材も含めて京都は大変な場所だと思います。 だいたい今まで褒めてきたんですけれど、あんまり褒めてばかりだとまずいんで、一つはですね、最初に話戻りますが、ある種の文化論になってしまうんですけれど、キーワードは最初に梶田さんに言われて僕はびっくり仰天したんです、今日話そうと思っていたのはそのことなんですよ。つまり地域で、皆さんの生きてる地域の文化、文化っていうのは大げさなものじゃなくって、一言で言いますと土地を愛するといいますか、それを愛する、家族を愛する爺さん婆さん三世代で住んでいたら爺さんの言うことも聞くということも含めて、その地域地域を愛して、育てて、守っていくと。「しきたりだー」って叫びつつも守っていくと、それが僕は文化だと思うんですよね。京都はそういうものが守られている。いわば人的ソフト、人的資源という言い方をすると変ですが、例えば商売の側面だけで言ってもおもてなしの心とか。僕は京都に来てもう一つ驚くのは、玄関先でお別れしますよね。普通だったら、さよならって言ったら玄関を閉めますよ。けど、京都の人は後姿が見えなくなるまで見送りますよね、あれはすごいことです。あんなの東京には絶対ないです。僕に言わせると東京はもう日本じゃないと思ってます。あれは無国籍都市で、何にもないの。僕も最初知らなくってね。さよならって言って何気なく振り向いたら立っていましてね。それから、お茶の宗匠でも向こうの陰に消えるまで、立って見送ってくれてる。ああいうのってやっぱり文化ですよね。ほんとに素晴らしいものだと思います。良いことか悪いことか価値観の問題だけど、僕はそう思うんです。だから、そういうものをどういうふうに維持していくんだろう。それはビジネスの世界でどう活用されていくのかも含めて旅行業界なら旅行業界で、今まで持ってた良さを持ち続けていただきたい。ともすれば無くなりがちですよね。だから今、地域に愛着を持ち続けるということもなかなかです。世の中はどんどん変わっていきますし、まちの構造は変わっていく、今、よく叫ばれてます景観っていいますか、町家のね、ああいうものを含めて流れを止めることはできませんけども、やっぱり一人一人そういう姿勢なり考え方を持っていれば、京都はいつまでもすばらしいと思いますよ。 これも先ほどのテレビの話に戻れば、やっぱり中身の問題です。中身を作るって大変なことで、ちょっと比較にならないかもしれませんがテレビって機械がありますよね。電源が切れてるテレビってクールな箱ですもんね、ガラスと鉄のね。みっともないです。吉永小百合さんがやってるでしょ、テレビのコマーシャル。いくらデザイン的にがんばっても味も素っ気もないものです機械としてのテレビは。あれは、物が映るから、つまり番組なりソフトが映るから生きてくるんで、ソフトの映ってないテレビは情けないと思います。廃品で野原に捨ててあるのなんか見ますと、なんか涙が出てくるぐらい情けない機械だと思うんですが、ああいうものに生命を吹き込んでいくっていうのはやっぱり人間なんです。ですから京都もこれから、京都創生っていう言葉で今言われていますけれども、様々な側面の中で、人と人との連携であるとか、つまるところ人ですね、人間です大事なのは。最後に言いますと、大河ドラマにしましてもね、昭和45年に初めて『春の坂道』っていう、柳生宗矩の大河ドラマをやったんですが、その頃と今とでは、テレビの画面は大きくなるし、今やハイビジョンの横長の時代ですし、音声もすごい良いですし、デジタル化といわれる時代。でも、制作の現場は全く同じです。番組作っている場所、現場、これは典型的な、もう職人の世界とそっくり、雑巾がけから始めます。ぼくも最初テレビドラマの現場に行かされた時なんかは、いわゆる助監督の3番目をやるんです。最初に何やったかっていうと、本当に弁当をみなさんにお配りするのと、東京からくる偉い俳優さんの鞄持って控え室に御案内してって、雑巾がけからやるわけです。それはもう今でも全然変わっていません。だから機械っていうかメカニズムはどんどん進化していますけれども、いわゆるソフトの現場っていうのは変わってなくて、極めて人間的なものですね。だから汗と埃まみれで、現場の連中はほんとに汗水だらけでやっています。それじゃなきゃやっぱり良いものはできませんし、そんなことで、冷たいテレビを現場みんなの汗と涙であっためているんだと思って、今後ともテレビを愛情をもって見ていただけるようによろしくお願い致します。どうもありがとうございました。 (拍手) |