見学:お話
司 東

 宝鏡寺学芸員の田中と申します。宝鏡寺は,尼門跡と呼ばれる尼寺でございます。「宝鏡寺」という名前よりも「人形の寺」という名前の方が一般的にはよく知られております。それではなぜ「人形の寺」と呼ばれるようになったのかお話しいたします。皆さんよく御存知の通り、京都に男僧の五山がありました。南禅寺を別格に相国寺さんだとか建仁寺さんだとかがありますが,それと同じように尼寺の五山もありました。その筆頭が景愛寺で,宝鏡寺の前身にあたります。宝鏡寺は約700年の歴史があり,御本尊は聖観世音菩薩で手に小さな宝の鏡を持っています。本堂の御厨子の中に入っており,秘仏となっております。この観音さんは,伊勢の二見浦という夫婦岩のある,その辺りに流れてきたところを漁師さんの網にかかったという伝承があります。これは珍しいということで,御所の御黒戸,これは現在,泉涌寺さんにありますが,この御黒戸の中に収められました。御黒戸の中でもこの観音像には,鏡が光り輝いたりしたんでしょうか,度々吉祥の印があったということで,当時栄えておりました景愛寺の塔頭である建福尼寺に収められることになり宝鏡寺が創建されたのです。鎌倉時代・室町時代には将軍家の庇護を受け,その後,江戸時代になりましてからは,代々の内親王がこちらの御住職になり,それから尼寺の門跡寺院として,百々御所という御所号もいただき,江戸時代が終わるまで代々皇室との縁が深まっていきました。もちろん光厳天皇の内親王がこちらの開山さんですので,創建された当時から皇室との縁はあったのですが,明治以降は旧華族の方やそのお弟子さんという形で代々景愛寺の筆頭を受け継ぐという形で続いております。江戸時代には,内親王は物心付く前からお寺に入れられることもありました。そういった時に寂しさを慰めるために,あるいは季節の御祝いだとか御見舞いだとか,そういったものでお人形がたくさん贈られてきました。もちろん皇室ゆかりのお寺ですから,市販されているようなものではなく当時の最高級品が納められておりましたので,人形の名品があったのです。それを見せて欲しいという要望があり,こちらもそれならお見せしたいということで,昭和32年に特別公開という形で人形展が始まりました。その2年後に人形塚ができまして,それから段々と人形を納めたいという方が増え,「人形の寺」と呼ばれるようになってきました。2007年でちょうど50周年になります。しかも,来年の3月,春の人形展はちょうど100回目に当たりまして,その時に100回目を記念して「人形展100回記念 源氏物語とひいな」というテーマで人形展を開催する計画をしております。源氏物語は,江戸時代,御所方や公家方では平安時代への憧れというものが強かったわけですから,着物であったり宝物類などに色々な意匠として使われました。そういったことから源氏物語関係の宝物がたくさん納められておりますので,お雛さんと共に見ていただこうということです。初公開のものもたくさんあります。また秋には創作人形の公募展を行います。いつも秋の人形展は1箇月だけなのですが,50周年ということで来年は3箇月間開けまして,宝鏡寺もいつもとは違ったような展示をしたいと思っております。本堂の方に人形が少し展示してありますが,これは御所人形と呼ばれる人形です。御所人形という名称自体は大正以降に御所にゆかりの人形ということで名づけられたようですが,形が,丸々と太った子どもの姿をしています。江戸時代というのは,子どもが生まれましても成長せずに亡くなられる方が多かった。それは皇室も同じで,例えば幕末の皇女和宮は有名ですが,和宮のお兄さんは孝明天皇,お姉さんは桂宮。この3人がよく知られていますが,和宮は実は15番目の内親王です。皇室でさえ幕末においてそれだけ子どもの死亡率が高かった。ですから,ふくよかに健康に育つようにと,願いを込めて人形を贈った。それで,お人形が持っている持ち物も宝舟であったり鶴や亀など,縁起の良いものが多いと思います。今,こういった丸々とした子どもがいたら,ちょっと肥満児で不健康に見えるかもしれませんが,その当時はそれだけ願いが強く,より丸く,より丸くということでデフォルメされたものが喜ばれたようです。先ほど申し上げました和宮は幼少の頃,この宝鏡寺に数箇月間住まわれていたことがあります。そういう御縁から季節ごとの物のやりとり,今でしたらお中元とかお歳暮とかいったことがありました。こちらの中庭にあります八重桜を贈ったり,京都に戻られてからも挨拶に行ったり,亡くなられてからも御遺品という形でこちらにたくさん納められています。そうしたものを本堂で少し展示しております。こちら,ちょっと寒いと感じておられるかもしれませんが,これもやっぱり京都の寒さというのを身に沁みて感じる良い機会なんじゃないかなと思います。天井が高くて床の下はすぐ地面ですので冷気も上がってくるわけです。また,この部屋は書院という所になります。一番格の高い公の場所となります。本来ですとこちらに上段の間があり,宮さんが座られる所です。ですが上段の間を作っていないのは,江戸時代,このお寺には源氏物語や伊勢物語など色々な書物もありましたので文化サロン的に,女性たちが集まって教養を深められたり,盤双六やカルタなどで楽しんだり,ということがあったからです。単に遊ぶだけでなく,教養を深める。源氏物語のカルタも内容を知っていないと遊べませんし,また遊びながら内容を知っていく。そういったことを行っていた場所ですので,この場所でこのような会ができるということは,当寺としても嬉しく思っております。この後の先生のお話,私も楽しみにしております。どうぞよろしくお願いします。

司 会

 ありがとうございました。今御説明いただきましたようにこのお寺にはたくさんのお人形,それから文化財がございます。皆様には部屋の見学,それからお庭のほうも併せて御覧いただきたいと思います。

―――見 学―――

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