講演:「生活提案誌から見た京都」 | ||
大 矢 | 一方で「ちょっと、京都にここ変えてほしいな」というのは圧倒的にアクセスでした。交通渋滞。バスの分かりにくさ。ほとんどの方が桜か紅葉の頃に来られます。そうすると、移動で時間がかかり、見られないまま予定していた所を回りきれなかったとか。目の前に金閣寺があるのに渋滞で出られなくて入れなかったとか。観光で自分がイメージしていた予定がこなしきれないっていうことほど悔しいことは無いじゃないですか。で、なんとかしたいのでタクシーで移動しますと、交通費に思ったよりお金がかかったとかいうことになります。じゃあ、「自分の車で行こうか」というと駐車場が無くて苦労した。駐車場探すのにえらい目にあったと。せっかく期待一杯にいらして、それなりにあれは良かったっていうのはあるんですけれど、満足度はどうですか?というと70点ぐらいに下がってます。この30点は交通渋滞とアクセスの悪さと分かりにくさ。私も今回お招きいただきまして、新幹線で東京駅から京都まで乗ってきたんですが、京都市のせいではないと思うんですけれどJR京都駅の地下鉄の乗り場が分かりにくいですね。急いでる時は「一体どこにどうしたらいいの?」っていう気持ちになってしまいます。もうちょっと案内板を整備したほうが良いと思うしアクセスに関してなるべくスムーズに移動できるように、何か出来ないか。地下鉄で行けないにしても、何かしらアクセスができるように。だから、私は紅葉の季節は毎回規制したらいいのにと思います。それから、そんなに大きな町ではないので、もう少し自転車を活用する。真夏と真冬はちょっと無理としても、気候の良い時なんかは。読者の御意見の中にも、レンタサイクルを使ったら鴨川も走れたりして、自然を感じて、町並みも感じて、すごく楽しい旅行ができたっていう意見も結構ありました。散策して楽しい町というのは自転車で走っても楽しい町なんですね。タクシーとバスに頼らないアクセス方法を市民の皆さんでお考えいただけると、観光スケジュールが必ず狂うみたいな意見は減ってくるんじゃないかと思います。 「レタスクラブ」の読者は、お子さん連れが多いもんですから「オムツ換えの場所が無いのでちょっと困りました」という意見も結構ありました。必ずしも、どの町も子供に優しい必要は無いと思うんですけれども、旅行じゃなくてもいらっしゃる町ってありますよね。お参りにいらっしゃるかもしれないし、単なる旅行の場合ばかりじゃないと思うので、そういう必要もあるのかなと読者の意見を読んでいて感じました。ゴミ箱が少ないのは東京もテロ対策で、京都も一緒で迎賓館もできたし、京都の町からもゴミ箱が消えるんじゃないか、と危惧しております。ゴミ箱をどうにかして町中に溶け込ましていくことは、京都は環境の先進地でもありますし、京都議定書の町でもありますし、イメージもありますから、そういった自転車だとかゴミ箱を町中に置きながらも、快適さみたいなお手本になっていただけると非常に素晴らしい京都になっていくのではないかなと感じます。 「レタスクラブ」の旅ページからですが、ディズニーが非常に人気っていうのを先ほど申し上げたんですけれども、もう一つ不変の人気を誇るのが温泉です。温泉は大好き。旅に出て求めるのは、やっぱりゆっくりしたいとか、のんびりしたいとか、癒されたいとか、落ち着きたいっていうことだと思うんです。人間って、ちょっとしゃっきりしたいとか、何か再発見したいとかそういうものより、人間が旅に求めるものは、ただお湯に入って美味しい物を食べてのんびりすること。それだけが必ずしも旅行じゃないと思うんですけれども、京都はもうひとつ美意識みたいなものが通っていて、背筋がもっと伸びるみたいなところと、落ち着きみたいなものが共存しているのが、他にはない魅力かなと感じています。例えば日用品でも、京都は昔から伝統的な物があって、市原平兵衛さんのお箸であるとか、有次さんやら色々料理に関係したものですけれど、さすが用の美というんですか、先ほど御住職さんが無用の用と話しておられましたけれど、また一方で用の美というものもあると思うんです。そういったものもありますし、先ほど「古い中にも新しいものがあるのが素敵」という意見を申し上げましたが、ただ古いだけではやっぱりしょうがないんですよね。昔のことばっかりやっても今に生きてこないんですけど、伝統の何が素晴らしいかというと、それを今に生かすことができる、今に生きているということが感じられてはじめて、モダンであり、伝統は素晴らしいなあと思うのです。例えば先ほど申し上げた日用品の用の美があって、現代に合っているとか、美意識とか、季節の感じ方でも和菓子の中に季節を感じるんだな、とか。お花の生け方でも、こうやって季節を取り込むんだなとか、お皿の使い方でもこのように季節に出会えるんだなとか、そういうちょっとしたことが、今の自分たちの生活の中に、例えばまた東京にこの感覚を持っていける、持って帰れるのが、ディズニーランドと違って、皆さんのお住まいになっている、暮らされているリアルな都市だからこそ、何かちょっとした非日常じゃないですけれど、何かそういったものを持ち帰れる、今に生きているところを発信されているところが、京都の素晴らしいところだと思うんですね。その発展系で、例えば町家カフェがはやったりとか俵屋さんがギャラリー遊形というかたちで新しいデザインをやっておられたり、発信系のスポットが色々あります。古き良きものを現在に生かすような、ところが京都は非常にうまく機能しているので、そういうところをこれからも失わずに、日本の美意識を持って、今日、家に帰ったらちょっと花でも活けてみようかなって帰り道に思えるような町でこれからもあって欲しいと思いますね。 そういう意味では色々な遊び方が提案できると思います。乱暴な意見かもしれないですけれど、どうやったらもっとそういった京都の魅力が雑誌文化の中で、ディズニーランドのように再生産されていくかを私なりに考えてみました。私が関西人だからかもしれませんが、京都は大括りできないんです。東山や、伏見や色んな地域が微妙に違いますよね。どこでも祇園と同じじゃないし、関西は意外と通り一本隔てたら価値観が違ったり暮らしぶりが違ったりしていませんか?雑誌タイトルだと必ず「京都」としか出てないですよね。春の京都、秋の京都、冬の京都。例えば東京で考えますと、原宿、表参道、青山と地続きです。そう大きな町でもないですけれど、全部駅名というか地域名で語られるんですね。代官山と中目黒と渋谷と、渋谷の隣に行けば代官山で、隣行けば中目黒ですけど全部文化が違うんです。「今度どの店行く?中目で良い?」って言えば、どんな感じの町なのか、どんな感じのお店なのかだいたい分かる。おそらく京都にお住まいの人も、あの辺、この辺、という感じで使い分けたり嗅ぎ取ったりされてると思うんですけれども、いざそれが京都外に発信されるときには全部一括りになっている。それはどうなのかな、もったいないな、色んな多様なコンテンツがあって多様な文化があるのに、全部京都って言う言葉だけで一本にしていくことが果たしてこの先もずっと続けていって得策なのかな、どうなのかなっていうことを、ちょっと今回考えてみたんです。これだけの歴史もあって奥行きもある世界に例の無い都市ですから一個しかお城の無い町とか、温泉しか無い町とか、それと同じようなことではなく、都市としての多様性を出してみたら、地域性を町名なのか、地域名なのか駅名なのか通り名なのかちょっとその辺は分からないんですが、その辺を出していくといいのかなと思っています。そうすることで、京都の違う魅力みたいなものが発見されるかもしれない。この間、表参道ヒルズがオープンしましたが、御存知ですか?行かれた方はいらっしゃいますか?初日は行列でした。雑誌もそうですけれど、新しいこととか、新しい遊び場とかができること自体が嬉しい。行きたい。どっか見に行きたい、遊びに行きたい。できれば新しいところへ行きたい。それだけでも欲求なんです。それを雑誌もどんどん取り上げていくんですが、ただ新しいだけだと一回行ったら終わりなんです。次が無いんです。ただ新しいっていう魅力だったら一回だけなんですけれど、それが町の中にちゃんと根付いて何かの機能とか、何かの発信を続けていくと、何度でも行こうと思います。ディズニーランドも文化は同じだけど、変わらないように見えてものすごく変ってる。先ほど申し上げた、お花の香りがするとか、夜にこんなことができるとか、期間限定でしているんです。京都にもありますよね、この時しか食べられないお菓子とか、この時しか無いものとか。ディズニーランドもパレード何日まで、とか言っていますよね。あれでまた、皆、「早く行かないと!パレード終わってしまう」とかいって行かれるんですけれど、変らないけど変えていっているっていう努力がものすごいディズニーランドにはあります。それを上手に発信されている。それに代わるようなキャッチフレーズを「京都」で出すんじゃなくって、今回は「この地域」というふうに。祭りだけじゃなくアピールされていくといいんじゃないかなと思います。 | |
<つづく> |