講演1 :「身近な京都〜お客様へのおもてなしを通じて〜」
司 会

  それでは次に講演に移らせていただきます。本日,講師としてお迎えしております横山健一郎様につきまして,御紹介させていただきます。

  横山様は昭和36年にお生まれになりまして,明治学院大学卒業後,長年にわたり国内外のインターナショナルホテルで経験を積まれました。そして,ハイアットインターナショナルコーポレーション入社後は副総支配人として,パークハイアット東京の立ち上げ,パークハイアットシドニーでは,シドニーオリンピック直前まで手腕を振るわれていました。そして,ハイアットリージェンシー大阪では初めての日本人総支配人を務められました後,ハイアットリージェンシー京都を立ち上げられ,昨年京都に移住されました。本日は「身近な京都〜お客様へのおもてなしを通じて〜」をテーマにお話を伺いたいと思います。皆さま拍手でお迎えください。

横 山

  皆さまこんにちは。今日は本当にお寒いところをお越しいただきましてありがとうございます。また,このような素晴しい場所を御提供いただき,ありがとうございます。

  今,御紹介いただきましたように,私は大学卒業後すぐに,ホテル業に入りました。大学時代は英文学科におりまして,自分がホテル業をやるとは全く思っておりませんでした。たまたま大学の隣にホテルがあり,そこでアルバイトを始め,「新入社員で一人雇うから来いよ」と言われたのですが,その頃はまだ血気盛んでありましたので,他のことも見てみないといけないのかなということで,外資系のヒルトンというホテルに試験を受けに行きました。ヒルトンに入社の際は父親に「日本の企業で採用してくれるのを何でお前はやめて,外資系なんか行くんだ」ということで随分怒られた記憶もあります。それが,良かったのか悪かったのか,今,こんなことをしながら京都に住むことができるようになりました。

  ヒルトンに入社して5年ほど東京のヒルトンで働きました。その頃は,フロントラインスタッフとして,みんなと一緒にチェックインしたりチェックアウアウトしたりいろいろなことをしていました。それからグアムに2年間行きました。その頃は,大変恐縮ですが,京都とか,日本とか少しも考えておりませんでした。自分の仕事やグアムに慣れることで一生懸命でした。あの頃は,グアムが大変人気があり,パスポート取ったらグアム行こうとか,2時間半かけて海に行くんだったらグアムに行こうよとか,そういった場所でした。その後,東京ベイヒルトン,ディズニーランドの横のホテルに戻りまして,そして,マレーシアに1年,その後また東京ベイヒルトンに戻りました。それから1993年にパーク ハイアット 東京ができました。新宿の東京ガスのガスタンクの跡地に丹下健三先生が都庁を作られて,その隣の52階建の建物の39階から上がホテル。その頃,そういうホテルは珍しかったのです。

  簡単にホテルの歴史を申し上げますと,60年代の東京オリンピック,そして大阪万博を期にホテルはどんどん成長して,500室,600室,1000室のホテルが出来上がっていきました。それが大阪のプラザホテルであったりリーガロイヤルホテルであったり,東京で言えばニューオータニやオークラや帝国ホテルですね。その後も所得倍増計画や日本列島改造論など右肩上がりの好景気の中で,ホテルはさらに成長していきました。その頃,銀座に,西武が作りましたホテル西洋という小さなブティックホテルが立ち上がりました。絶対予約が必要,会員でなければだめ,ということで,これまでのホテルとは異なるスタイルでしたが,そういうホテルもできつつありました。それでも現在のブティックホテルというにはまだまだ巨大なホテルでした。

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