講演1 :「身近な京都〜お客様へのおもてなしを通じて〜」
横 山

 門掃きという文化が京都にはあります。私も開業準備室の時には自宅から西へ高倉のほうまで歩いて通っていましたが,鐘馗さんがあったり,南天が赤く実っていたり,その頃,歩くのが楽しい街であると感じるようになりました。その時に,朝7時頃,皆さん外へでて掃いてらっしゃるんですね。これをやっていたら,まちでタバコの投げ捨てなんかないだろうなと思いました。毎朝,あたりまえのように,門掃きをして,水をまいて,知らない人が通っても「おはようございます」って言ってもらえる。私は息子がいるのですが,このような環境は子どもを育てるにはすごく良いと思いました。よく,京都の人はよそ者を受け入れてくれないとかおっしゃいますが,私は鈍感なのかもしれないですが,「ありがとう」とか「おはようございます」とかそんな言葉だけでもすごく嬉しかった。東京ではそんなことないですから。隣に誰が住んでるのかも分からない。もちろん私は横浜生まれですから,東京も好きです。それでもやっぱり,そういう環境,いつもどこかで大人が子どもを見てたり,いつも誰かが誰かを気にしてるっていう街は良いなと思います。

  ただ,この20年,生活様式がすっかりかわって,私の家も昔は畳がありましたが,今はひとつもありません。うちの母も昭和5年の生まれですが,だんだん足が悪くなってきて椅子の生活に慣れてしまった。そうすると畳というものもなくなっていくし,着物というものもめったに着なくなる。これは時の流れだと思います。その時の流れが,昔は10年ひと昔だったのが,今は,5年ひと昔ぐらいになってきて,時代の流れが速いためにいろんな産業や文化が衰退してしまうのは寂しいことだとも思います。例えば20年前には私たち携帯も何も持っていなかった。駅で待ち合わせして来ない時は伝言板に書いて行ってたわけです。それが今は携帯があって,「ちょっと待ってね」っていうその時間すら変わってきています。昔は30分ぐらい待っていたのが,今は携帯があるから待たなくていいし,その時間軸が変わってるっていうことは,私たちは受け入れざるを得ない。それが今の環境なんだと思います。ただ,その時間軸を十分に理解したうえで,私たちは残していくものと変えていくものを考えなきゃいけないのかな,と思います。

次のページ

トピックス 開会 講演1|1234|5|67891011| 講演2|1234